五木寛之 流されゆく日々
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連載9937回 モハメッド・アリ追想 <1>
モハメッド・アリの訃報をきいて、一瞬なんともいえない重い感慨をおぼえた。 私は一度だけ彼に会ったことがある。一期一会というが、たった一度だけ会った相手が、何十年も消えない記憶を残すことがあるもの…
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連載9936回 今ふたたび昭和の名曲 <5>
(昨日のつづき) 自分の話で恐縮だが、昔、立原岬というペンネームで、テレビ番組の挿入歌を書いたことがあった。かなり年輩のかたの中には、おぼえていらっしゃる向きもおありかもしれない。『海峡物語』とい…
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連載9935回 今ふたたび昭和の名曲 <4>
(昨日のつづき) 歌謡曲・流行歌のたぐいが好きだ、と公言なさる知識人は少ない。まして演歌ともなればなおさらである。大衆的な人気とは裏腹に、演歌は今も昔も低俗なものとして見られているのが現実だ。 …
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連載9934回 今ふたたび昭和の名曲 <3>
(昨日のつづき) 先日、藤原正彦さんとお会いする機会があった。数学者にして思想家、そのエッセイはつとに私の愛読するところであったので、気軽に談笑することができたのは望外の幸せだった。 実をいう…
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連載9933回 今ふたたび昭和の名曲 <2>
(昨日のつづき) 淡谷のり子は、青森の人である。東洋音楽学校を首席で卒業、オペラ歌手として期待の星だった。『魔弾の射主』『アガーテのアリア』などをうたった時には、「十年に一度のソプラノ歌手」と絶讃…
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連載9932回 今ふたたび昭和の名曲 <1>
NHKラジオの『ラジオ深夜便』で、「聴き語り 昭和の名曲」という番組をやっている。やっている、というのは出演しているという意味だ。村上アナという女性アナとのコンビで、このところずっと続いている番組で…
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連載9931回 『裸の町』を読み返す <5>
(昨日のつづき) 第2次世界大戦は、いつ始まったのか。 定説では1939年9月、ドイツ軍がポーランドに攻めこんで、英・仏がそれに宣戦布告したときに開始されたとなっている。 つづいて1941…
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連載9930回 『裸の町』を読み返す <4>
(昨日のつづき) 『裸の町』の初版は、1968年(昭43)の7月20日に文春から発行されている。 そして、同年の10月から翌1969年春まで、NETテレビで連続ドラマとして放映された。NETテレ…
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連載9929回 『裸の町』を読み返す <3>
(昨日のつづき) あらためて資料を確かめてみると、『週刊文春』の連載は、1968年(昭43)の5月に終っている。ということは、執筆を開始したのは、直木賞をもらった年、1967年(昭42)の秋ぐらい…
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連載9928回 『裸の町』を読み返す <2>
(昨日のつづき) 週刊文春の連載が終って、単行本になったのが、1968年の夏、というのは、いかにもはやい。 あえてソフトカバーの軽い本にしたのは、私のほうの希望だった。薄っぺらでも安いほうがい…
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連載9927回 『裸の町』を読み返す <1>
むかし自分が書いた作品を、あらためて読み返してみる機会は、めったにないものである。 それも5年、10年ぐらい前の仕事なら資料の一部として再読することもないではないが、何十年と月日がたってしまって…
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連載9926回 超高齢社会のイメージ <5>
(昨日のつづき) 最近、「人生100年時代」という言葉をしきりに耳にするようになった。 これは大変なことである。 「人生50年」 と、昔から言いならわしてきた世代である私にとっては、「人…
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連載9925回 超高齢社会のイメージ <4>
(昨日のつづき) (昨日のつづき) 団塊の世代という一大グループが通過することで、この国の経済も政治も大きな影響を受ける。 しかし、さらにその先はどうか。 団塊の世代800万が後期高齢者…
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連載9924回 超高齢社会のイメージ <3>
(昨日のつづき) 少子化問題にしても、高齢者問題にしても、人口問題や経済問題にしても、要するに「団塊の世代」の問題である。それがすべてであると言ってもいい。 戦後、海外から復員軍人、在外邦人(…
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連載9923回 超高齢社会のイメージ <2>
(昨日のつづき) 以前、みうらじゅんさんと対談をしたことがある。その席で、「最近、自分の老化の進み方にショックを受けることがある」と言ったら、すかさず、 「オイル・ショックですね」 と切り返…
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連載9922回 超高齢社会のイメージ <1>
「子供叱るな きのうの自分 年寄り笑うな あしたの自分」 よくきく文句だが、最近この言葉がいやに身にしみて感じられるようになってきた。何年か前から左脚が痛くて、不自由で仕方がない。昔なら大嬉び…
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連載9921回 レンズの垢にまみれて <5>
(昨日のつづき) 私がはじめてカメラというものを手にしたのは、高校生の頃だったと思う。ベビーパールとかいう簡便なカメラだった。大学生の頃は、あまり写真機には触れていない。大学を横に出て、マスコミの…
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連載9920回 レンズの垢にまみれて <4>
(昨日のつづき) 何十年も昔の事だが、『野性時代』という雑誌で、かなりのページをさいてグラビアを組んだことがあった。高名な若手のカメラマンが撮影を担当した。その企画がユニークだったのは、被写体であ…
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連載9919回 レンズの垢にまみれて <3>
(昨日のつづき) 何十年も昔の話だが、『アサヒカメラ』の表紙の写真を撮ることになった。当時は出版界も余裕があって、1週間のロケと十分な予算を出してくれたのだ。写真家と共に、札幌へ飛び、毎日、石狩の…
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連載9918回 レンズの垢にまみれて <2>
(昨日のつづき) 美術コレクターのあいだでは、奇妙な言葉が通用している。 それは、 「目垢がつく」 と、いう表現である。 私がその言葉をはじめて聞いたのは、ある人からわが国の代表的な…