朝ドラ「あさが来た」の舞台を往く
-
<最終回>広岡浅子 最後の社会奉仕はYWCA設立への貢献
NHK朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルになった広岡浅子は1911(明治44)年、62歳でキリスト教の洗礼を受ける。 その2年前、東京帝大病院で乳がんの手術を受けた彼女は、生死の境をさま…
-
<第4回>西早稲田の大隈重信邸に足しげく通う
大阪を離れるのを嫌がる広岡浅子を説き伏せたのは、娘の亀子だった。 浅子59歳の時、胸に腫瘍(乳がん)が見つかり、帝国大学医学部の近藤次繁の外科手術を受けるため上京した。手術は1909年1月に行われ、…
-
<第3回>浅子は御殿場の別荘で村岡花子、市川房枝を育てた
《プリンス・エドワード島は世界じゅうでいちばんきれいなところだって、いつも聞いていましたから、自分がそこに住んでいるところをよく想像していました》 児童文学「赤毛のアン」(村岡花子訳)の有名な…
-
<第2回>浅子が暮らした家は米国発祥のアイス店になっていた
ずっと大阪で暮らしてきた広岡浅子が55歳で夫の信五郎を亡くし、最晩年を過ごしたのが、東京市麻布区材木町63番だ。大正8年(1919年)にこの地で没している。 大正時代の地図を調べてみると、近…
-
<第1回>日本女子大学の発起人・広岡浅子のゆかりの地
最高視聴率27.2%と大ヒット放送中のNHK朝ドラ「あさが来た」。毎回、放送を心待ちにしている人は多そうだ。 大同生命創設者の一人である広岡浅子をモデルにしたドラマで、主人公のあさを演じる波…