保阪正康 日本史縦横無尽
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秩父宮は東條英機の木で鼻をくくったような回答を読んで床に伏し死線をさまよった
東條英機首相の自筆の書簡は、彼自身の怒りがそのまま文面に表れていた。「帝国の現段階は一切の国力を挙げて完勝の一途に邁進しておるのですから、人事問題の如きは戦後の議論にして下さい。(略)その是非の論議…
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「連携が良くなっている」秩父宮に届いた東條英機首相からのつっけんどんな回答
東條英機首相と秩父宮のやりとりは、昭和19(1944)年2月から5月まで続いた。陸軍大臣と参謀総長を兼ねるといったほとんど前例のない権力の集中に、秩父宮が表立って抗議あるいは抵抗を試みたのは、兄宮に…
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独裁的な東條英機に、秩父宮は病床から「怒りの質問状」を送りつけた
太平洋戦争の開戦時と戦時下での東條英機内閣の反政府陣営に対する弾圧は、二重の残酷さを持っていた。その人物の社会的立場、信用、さらには経済生活を奪うだけでなく、戦場に徴用して「死」を強要するのである。…
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戦犯第1号・山下奉文司令官の遺書に書かれた日本軍の反省と問題点
太平洋戦争の終結後、日本軍の軍事指導者や占領各地での各種行為の実行者は、戦勝国によって裁かれた。いわゆるBC級戦犯裁判である。山下が昭和19(1944)年10月から指揮していた第14方面軍司令官とし…
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イギリス軍司令官との会談内容を国民の鼓舞に利用された山下奉文
山下奉文とシンガポールの要塞を守っていたイギリス軍の司令官・パーシバルとの会談は、シンガポールにあるフォード自動車工場で行われた。イギリス軍は降伏にあたっていかなる条件を示し、日本側はそれにどう応じ…
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山下奉文は2.26事件の際、情勢を鋭敏に読み取った
山下奉文を理解する時に、あえて3つの局面を抽出してその人間像を見ていけばいいように思う。これは山下の人間性が問われた時に、硬直な融通の利かない性格か、それとも実はそれぞれの局面で柔軟性の取れる性格か…
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東條英機に警戒され、死刑になった山下奉文の悲劇 語り手によって異なる人物評
山下奉文の評価は極めて難しい。「マレーの虎」とか「悲劇の将軍」といった語られ方もするのだが、実際に彼に会った人たちの書き残した人物評、あるいは彼の身近にいた軍人たちの表現などを確かめていくと、やはり…
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東條英機が天皇を忖度して山下奉文を遠ざけた真相
東條英機と石原莞爾の対立についてはこれまでも詳しく記してきた。今回は山下奉文に対する異様なまでの感情的な反発について書いておくことにしたい。 東條はなぜ山下を嫌ったのか。そこには2人の性格の…
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開戦内閣の東條英機は人事に没頭し有能な将校を犠牲にした
太平洋戦争において日本の軍事指導者が責められるべき点はいくつかあるのだが、そのうち2、3の例を挙げるなら、「主観的願望を客観的事実にすり替えた」や「有能な人材を登用するシステムに欠けていた」「国民を…
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「天皇への侮辱」で巣鴨拘置所に留置された尾崎行雄
尾崎行雄と東條内閣の対立、いや東條内閣の一政治家への弾圧の様相を記述しておきたい。翼賛選挙時に、尾崎は同志の田川大吉郎の応援のために東京3区の演説会場に赴き東條内閣の選挙干渉を鋭く批判した。むろん田…
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「憲法違背である」と東條内閣に立ち向かった尾崎行雄の異議申し立て
東條内閣をはじめ戦争政策を遂行する軍事指導部が、翼賛選挙を軍事の補完機関に仕立てようとしたのにはいくつかの理由があった。国民は無知で愚昧な存在というのが、軍事政策の担い手の考えであった。 こ…
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議会の8割が政府推薦候補となった「翼賛選挙」のひどい内容
太平洋戦争の開始から半年間に、政治・軍事指導者はほとんど有効な対策を取らなかった。その半面で国民には強圧的監視体制と客観的視点の否定を躍起になって説いた。冷静に考えたり、理知的に振る舞う態度は全否定…
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将棋倒しのように…日本500機、米国4000機の航空機生産の格差
鈴木貞一企画院総裁が披歴したという、日本軍が西南太平洋に根拠地を確保したのだから日本の不敗態勢は確保されたとの論は、この頃に最も声高に主張された意見であった。日本はこれをもって真珠湾攻撃の成果とし、…
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「ソ連が敗れ、米国も手を引く」戦時指導者の愚かな楽観論
真珠湾攻撃後の第2段階で、日本の戦時指導者はどのような手を打つかなどは全く考えていなかった。それが致命的な欠陥だったとも言えるのだが、この事態をもう少し別な視点から見ていくと、日本人の国民的性格を表…
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大本営の参謀は文書化 日独が世界を分割支配する夢想の計画
田中隆吉による陸軍内部の戦時指導迷走の告発は、むろん東條英機だけではなく、政治・軍事指導者がいかに見通しを持たずに戦争と向かい合っていたか、その姿勢の告発でもある。次代の者として耳を傾ける内容もあれ…
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「稀に見る出しゃ張りの女」東條英機は妻の言いなりだった
石原莞爾と東條英機の対立を見るときに、意外に重要なのは浅原健三という人物をめぐる戦いがあったということである。浅原は前回も紹介したように労働運動出身の活動家であったが、石原の東亜連盟の思想に触れてか…
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「石原莞爾はアカだ」とでっち上げの噂をまいた東條派の陰謀
昭和陸軍が退嬰的な組織に陥っていたのは、個々の軍人が能力を発揮する「空間」ではなくなっていたためだ。昭和の初めからの国家改造運動が、結果的に2.26事件のような暴力の爆発という形での歪みを持った。そ…
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東京の防空施設の拡充案を却下…東條政権は人命より戦力増強を優先した
田中隆吉の軍事政策告発の内容をさらに記述してゆく。戦争終結後初めての具体的な告発であり、極めて大きな意味があった。田中は東條英機首相・陸相と対立したため軍から追い出されたとも言えるのだが、それだけに…
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「疎開は卑怯者の行為」という東條英機の時代錯誤
田中隆吉の著作からは軍事指導者たちのあまりにも甘い、そして軽薄な戦争論や戦略論が浮かんでくるのだが、それ自体は大いに批判されなければならない。ありていに言えば日本の軍人は国を守るという大義を自分たち…
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告発本「敗因を衝く」を書いた田中隆吉…国民が知らない内容でたちまちベストセラーに
戦争責任者を裁く、あるいはその責任の実態を明確にするというのが、昭和20(1945)年8月15日の敗戦後の社会の動きとなっていった。とはいえ食べるものもなく、住む家とてないという状況の中で、戦火によ…