追悼ルポ 西寺郷太氏がプリンスの郷里で見た“伝説の起源”
その本拠地で彼はライブを積極的に行い、一人きりでも昼夜を徹してレコーディングを重ねる生活を続けてきた。先月、自宅内のエレベーターで倒れ、発見されたのは翌朝だった。その最期も彼の生きざまそのものだったと思える。
■身長コンプレックスで高いハイヒール
157センチと小柄な身長にコンプレックスを抱いていたといわれるプリンスは、長年高いハイヒールを履きながら、過激なステージパフォーマンスを行ってきた。
そのため足腰を酷使し、晩年は両股関節痛に悩まされていた。だが、その体調悪化と「エホバの証人」を信仰した時期と重なったことで、輸血ができず、思うような手術が受けられなかったと伝えられている。痛みに苦しめられ、鎮痛剤に頼らなければならない日常……。
僕自身はすでにプリンスは同団体と距離を置いていたと推測している。つい先日、エホバの証人がプリンスの追悼イベントを行ったことについては、今後調査が必要に思う。
今回訪れて改めて感じたのは、プリンス自身がその天賦の才におごることなく、寝る間も惜しんで楽器の練習を欠かさなかったこと、その努力こそが彼を音楽界の頂点に導いたこと。
両親が離婚し、異父母の兄弟と顔を合わせる日常を送る複雑な家庭環境に育った彼の心のよりどころは音楽だった。ミネソタの晴れ渡った空の下、レンタカーを走らせハイウエーで聴く、代表的アルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」(85年)はまた新しい発見を僕にくれた。