【寄稿 小川邦和】衣笠祥雄は弱者に優しく、ときに厳しく
19日のDeNA対巨人戦のテレビ中継を見ていて、アレッと思った。解説の衣笠祥雄の声がかすれていたからだ。「どこか体調でも悪いのかな」と心配していたところでの訃報である。驚きを禁じ得ない。
私が広島で衣笠と同じユニホームを着たのは81年から83年の3年間。すでに衣笠はカープだけでなく、セ・リーグを代表する打者だったが、普段は物静かな、温厚な選手だった。
味方の選手が大事なところでミスをしても、顔色ひとつ変えない。まして批判したり、文句を言ったりもしない。特に若手や立場の弱い選手に対しては優しかった。
しかし、単に優しいわけではない。厳しさもあった。後に先発、救援で活躍する大野豊がオープン戦でふがいない投球をした。大野を呼ぶと、「ボール球ばかり投げるな。打たれても構わないから、逃げないでどんどん攻める投球をしろ!」と叱咤激励していた。
野球選手は活躍して有名になればなるほど、得てして「俺が、俺が」となりがちだが、衣笠は例外だった。当時、カープには江夏豊、高橋慶彦といった個性の強い選手がいた。彼らが衣笠とは親しく付き合っていた。人柄のなせることだろう。