結婚式前日の黒木知宏を乗せたゴルフカートが木と正面衝突
1990年代後半から2000年代前半にかけて、ロッテのエースとして活躍した黒木知宏は、同郷(宮崎)の後輩だ。 ウイスキーの「ジョニ黒」にひっかけて、「ジョニー」と呼ばれていた。マウンドでは闘志や気迫あふれる姿を見せる男も、普段は宮崎弁なまりの純朴な青年だった。
私は県最南端の串間市出身で、黒木は県北東部の日向市出身。同じ県内でも地域によってなまりの強弱はある。私は今も地元に帰れば自然と宮崎弁が出るとはいえ、「なまりがないですね」と言われることが多かった。
黒木は違う。社会人時代、愛知県の新王子製紙春日井に所属していたし、在京球団でプレーし、関東で暮らしていればなまりは薄まっていくものだが、プロ入り当初からずっと、何でそこまで?というくらいイントネーションが変わらない。「いい加減、直せよ」と突っ込んだこともあったけれど、それも黒木のいいところなのかなと思ったりもする。
ロッテは90年代、米アリゾナでキャンプを行っていた。新人時代の黒木と紅白戦で初めて対戦したときの印象は、鮮烈だった。