89年日本Sで近鉄に3連敗「ロッテより弱い」と聞き…藤田元司監督がナインに放ったひと言
11試合連続完投勝利の斎藤雅樹、打率.378で首位打者とMVPを受賞したクロマティが活躍した1989年。巨人は独走でリーグ優勝を決め、日本シリーズは近鉄との初顔合わせとなった。
12球団随一のチーム防御率(2.56)を誇る巨人の強力投手陣対近鉄の主砲・ブライアントが牽引する猛牛打線という構図だった。
第1戦の舞台は近鉄の本拠地・藤井寺球場。巨人は20勝を挙げたエース斎藤がマウンドへ上がる。しかし初回、大石第二朗(現・大二郎)に先頭打者ホームランを浴びて出はなをくじかれた。一度は逆転したものの、六回に鈴木貴久に2ランを打たれて3-3の同点。七回には新井宏昌さんの適時打で試合をひっくり返された。事前に近鉄打線を研究して臨んだものの、相手が得意の高さや球種を要求してしまった私の責任だ。斎藤はここで降板。試合も3-4で敗れた。
■ブライアントの攻略法が分かった
巨人は斎藤、桑田真澄、宮本和知を投入して3連敗。初の日本一を目指す近鉄に王手をかけられ、絶体絶命の窮地に追い込まれた。この試合で先発し、勝ち投手となった近鉄・加藤哲郎がヒーローインタビューで「(巨人は)なんてことなかった。シーズンの方がよっぽどしんどかった。相手も強いし」と発言。私たちには「(巨人はパ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」と伝わった。この発言で巨人ナインが奮起したことになっていて、よくクローズアップされる。確かに近藤昭仁ヘッドコーチが試合後のミーティングで「加藤がこんなことを言っとったそうだ。『ロッテ打線の方が巨人より手応えがある』とな。そんなことを言われたら、ジャイアンツの名がすたるぞ!」とゲキを飛ばした。そのインタビューはバスの中のテレビで見たものの、私たちがそれで奮起したというのは違う気がする。