仰木彬監督は私に「野茂のフォームを変えようとするコーチがいたらアンタが止めないと」
「いままではオレがいたから、コーチやOBがあれこれ言っても野茂はいまのままでいいんだと言うこともできた。オレがいなくなるのだから、これから先、野茂の投球フォームを変えようとするコーチがいたら、アンタがしっかり止めないとあかんよ」
■仰木さんが退団間際、私に言った意図
仰木彬監督が近鉄の指揮を執った最後の年、1992年のシーズン終盤のことだ。
試合前に外野でストレッチをしていると、仰木さんがやってきて私にこう言った。
この年、近鉄は西武から4.5ゲーム離された2位。仰木さんが監督に就任して以降、チームは2位、1位、3位、2位、2位と常にAクラスだったものの、この時点で仰木監督はその年限り、翌年からはOBの鈴木啓示さんが指揮を執ることが決まっていた。
野茂はプロ1年目からこの年まで3年連続で最多勝、最多奪三振をマーク。名実ともに近鉄のエースだったが、コントロールが悪く、与四球数も3年続けてリーグワーストだった。なにしろ「トルネード」と呼ばれる投球フォームは独特だ。制球を改善するにはフォームを直す必要があるという外野の声を、仰木さんは何度も耳にしていたに違いない。