「パの宣伝部長」を自称した仰木彬監督 ビールの早飲みで使う選手を決めたことも
「来年の開幕は藤井寺球場が、お客さんで膨れ上がるんやないか」
1989年のリーグ優勝後のオフのこと。仰木彬監督はニコニコしながら、私にこう言った。
9年ぶりの優勝でファンが増えると思ったのだろうか、仰木さんに真意を尋ねると、理由は対戦相手にあった。
当時のパ・リーグの開幕カードは、前年の1位と4位が対戦するシステムだった。前年4位だったダイエーは野茂の抽選に外れ、外れ1位で上宮高の元木大介を指名していた。
■本木が本拠地に来れば
元木はこの年の夏の甲子園で1試合2本塁打を放つなど甲子園通算6本塁打、大阪出身の超人気選手だった。仰木さんはその元木がダイエーの選手として藤井寺に来れば、球場は間違いなく満員になるとソロバンをはじいていた。それだけに開幕はしっかり頼むと言いたかったのだろう。
ドラフト前から巨人に行きたいと公言していた元木は結局、ダイエーの1位指名を拒否。ハワイへの1年間の野球留学を経て、翌年のドラフトで巨人入りすることになる。元木が本拠地にお客さんを呼んでくれるというもくろみは外れたとはいえ、仰木さんはファンあってのプロ野球という意識の強い監督だった。