門田博光さん死去…南海で戦友だった“ヒゲのエース”山内孝徳氏が明かす「不惑の大砲」秘話
24日、「不惑の大砲」の異名をとった元南海の門田博光氏が亡くなっていたことが分かった。74歳だった。
門田氏は1969年のドラフト2位で社会人のクラレ岡山から南海に入団。170センチと小柄な体でも不断の努力を続け、現役通算2566安打、1678打点、そして567本塁打は歴代3位の大記録だ。40歳の88年シーズンは44本を打って本塁打王に輝き、翌年からは移籍したオリックスでも活躍した。
南海で共に戦った「ヒゲのエース」山内孝徳氏は「門田さん、亡くなったんですか……」と絶句するも、当時の思い出を語ってくれた。
「万年Bクラスでぬるま湯体質だった当時の南海で唯一のプロだった、と言っても過言じゃありません。とにかく妥協はせず、先っぽを垂直に切り落とした重さ1キロのバットを練習でも試合でも使っていた。練習は人の目のあるところではあまりやらない。室内練習場にこもり、バットをぶんぶんとうならせ、延々と素振りする姿が、目に焼き付いています。
門田さんは右肩に脱臼癖があり、右足のアキレス腱も断裂した。それを分厚い筋肉の鎧でカバーしていたんです。ソックスをはき替える時、ちらっとふくらはぎが見えたのですが、まるで陸上選手のような凄い筋肉でした」