元広島投手の川端順氏が北別府学さんを悼む 十八番の「『アメリカ橋』と『心凍らせて』をハモってくれと言われ…
広島で通算213勝を挙げた北別府学さん(享年65)は3年目の1978年に10勝、79年には17勝でエースとなり、翌80年までの2年連続日本一に貢献した。82年には20勝で沢村賞。2歳下の私は83年のドラフトで広島に1位指名され、記者会見で目標の投手として、若きエース北別府さんの名前を挙げた。
すると、入寮日か新人合同自主トレ初日か、春のキャンプの荷造りのために寮に立ち寄っていた捕手の達川光男さんに「社会人ナンバーワン投手の川端か。おまえが北別府になれるわけないやろ。100年早いわ」とクギを刺されたが、その意味が分かったのは、最初の春のキャンプだった。
ブルペンに入ると、安仁屋宗八一軍投手コーチに「そこで投げろ」と指示されたのは、北別府さんと後に「炎のストッパー」と呼ばれる津田恒実(享年32)の間。北別府さんの球のキレと寸分の狂いもない精密なコントロールに度肝を抜かれた。
もっと驚いたのは集中力の高さだ。チームメイト、マスコミ、ファンが見ていようが、お構いなし。というか聞こえていない。新人の私は気になって仕方がなく、キョロキョロしながら投げていた。その前の1次キャンプで「プロでもいける」と自信を持って沖縄に乗り込んだが、北別府さんの横で恥ずかしくなった。これが、プロ入り後、初めてのカルチャーショックだった。