元阪急投手・足立光宏「騒げ騒げ、もっと騒げ。たかが野球じゃないか」
足立光宏(元阪急投手)
球団創設から32年目の1967年、念願の初優勝を飾った阪急はこの年を皮切りに68年、69年、71年、72年とV9時代の巨人と日本シリーズで5度対戦した。しかし、阪急にとって巨人は、挑めども挑めども何度もはね返された厚い壁。どうやっても巨人を破ることができなかった。そして、75年に広島を破って初の日本一に輝いた翌76年、巨人との6度目の対決を迎えた。
この年のペナントレースは山田久志が26勝7敗5セーブを挙げてエースの貫禄を示したが、もうひとり、17勝8敗1セーブで山田とともにチームを牽引したのが同じサブマリンの足立光宏だった。当時の足立は入団18年目、36歳の大ベテラン。63年に監督に就任した西本幸雄に見いだされ、64年に初めて規定投球回数に達して13勝をマーク。以来エースとしてチームを支えてきた。山田やストッパーとして活躍した山口高志に比べると地味な存在だったが、伝家の宝刀シンカーを武器に間違いなく阪急の黄金時代の投手陣を支えたひとりだった。
さて、問題の日本シリーズは10月23日、後楽園球場で開幕した。雪辱を期すべくシリーズに臨んだ阪急は第1戦を山田→山口の継投、第2戦を足立→山口の継投、そして第3戦を山田の完投で勝利し、あっという間に巨人を追い込んだ。