兄貴分の山本功児さんが一軍監督に就任してなければ、FAでロッテを退団していた
1998年、ロッテは悪夢の18連敗こそ喫したものの、個人的には打率.296、25本塁打、86打点。OPSは.922というキャリアハイの成績を収めた。
前年の97年の開幕戦でスタメンから外された。それも本職が三塁手ではない選手に開幕スタメンを奪われ、首脳陣から説明もなかったことで、近藤昭仁監督に対し、わだかまりが残っていた。
98年の開幕前に金髪に変身。聞き間違えによる“事故”だったとはいえ、すぐに黒髪に戻さなかったのは、近藤監督への反発心というか、怒られてもいいという気持ちが、どこかにあったからだ。98年のシーズン中に国内FA権を取得した。シーズン終盤、西武戦の時のことだ。宿舎は東京・立川。近くの府中に「ホルモン大学」という安くてうまい行きつけの焼き肉店があった。そこに西村徳文内野守備走塁コーチら3人のコーチに呼び出された。ピンときた。西村コーチがこう言った。
「FAをどう考えているんだ?」
「僕は出て行こうと思っています」
「何でだ?」