「メガネ選手生活」の原点…強風が吹きすさぶ千葉マリンはコンタクトとの相性が悪かった
【前回】「日本一のマリーンズファン」が唯一怒った日 からつづく。
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1995年にボビー・バレンタイン監督のもとで、チームは10年ぶりのAクラス(2位)入り。私は主に5番を任され、自身初の打点王を獲得した。しかし、97年はスランプに陥った。強い乱視のため、ボールが見えにくくなったことが一因だった。
98年からメガネを着用したのは、強風が吹きすさぶマリンスタジアムを本拠地とするゆえ。海岸と隣接している立地のため、グラウンドには連日強い海風が吹きつける。そのため、砂ぼこりが目に入るわ、コンタクトレンズは風で飛ばされるわ……当時、乱視矯正のコンタクトは小さいハードレンズに限られていたのだ。やむを得ずメガネをかけると、ボールがくっきり見えるではないか。おかげで打撃不振から脱することができた。もっと早く作っておけば良かったと後悔した。
メガネで有名な選手といえば、ヤクルトに在籍した古田敦也さんだろう。
立命大時代、自身の眼球に合うコンタクトが見つけられなかったためだそうだが、大学4年時(87年)のドラフトで「メガネの着用」を理由に指名を回避されたのは有名な話だ。だから、私も最初はメガネをかけることに抵抗があった。