阪神の「光と影」を誰よりも経験した名将・吉田義男さん…元球団社長の野崎勝義氏が悼む
阪神監督として1985年に球団史上初の日本一を達成した吉田義男氏が死去した。91歳だった。現役時代に名遊撃手として鳴らした同氏は球団創設90年で唯一、監督を3度務めた。3度目の監督在任時(97~98年)にフロントを務めた元阪神球団社長の野崎勝義氏が虎の名将を悼んだ。
昨年お会いした時はお元気そうでしたので、突然の訃報に驚いています。
吉田さんは球団史上初の日本一を達成。光り輝く部分をつくったと同時に、一昨年にチームを2度目の日本一に導いた岡田彰布前監督を阪神に呼び戻した点でも、大功労者といえるでしょう。
1985年の日本一メンバーの岡田前監督は、吉田さんと強固な師弟関係を築いた一方、93年オフに自由契約となり、オリックスへ移籍。引退後はオリックスで二軍助監督兼打撃コーチを務めていました。吉田さんは97年に監督になるや、「岡田を呼び戻してほしい」とフロントに要望。その結果、98年に二軍助監督兼打撃コーチとして復帰が実現したのです。
吉田さんは日本一になった2年後の87年に最下位に転落して退任。天国と地獄を味わいました。