文学史上最大の怪文書「文壇照魔鏡」の研究書
「鉄幹と文壇照魔鏡事件」木村勲著(国書刊行会 2200円+税)
本書は明治期に起きた「文壇照魔鏡」という不気味な書名の本にまつわる事件の研究書である。
明治34年、突如世に出た謎の本「文壇照魔鏡」は明治期歌壇の大御所・与謝野鉄幹へのすさまじい非難が全編にわたり書かれた一種の怪文書であり、文学史上最大のスキャンダラスな事件であった。
著作兼発行者・大日本廓清会はもちろん、奥付の発行者、印刷者も架空、序文の武島春嶺、三浦孤剣、田中狂庵も架空。奥付に「転載を許す」と書かれているのは今風に言うなら「拡散希望」ということだろう。
文面には、〈鉄幹は妻を売れり。鉄幹は処女を狂せしめたり。鉄幹は友を売る者なり〉と、鉄幹をこれでもかと侮蔑している。
与謝野鉄幹といえば歌壇の大物、「明星」を主宰し彼を慕う文学青年たちが集い、そのなかには後の妻となる歌人、与謝野晶子や若くして亡くなった山川登美子もいた。
与謝野鉄幹はモテた。教師時代に教え子と何度も問題を起こし、結婚してからも与謝野晶子、山川登美子と恋仲になり妻と離婚、晶子と再婚した。そんな艶福家を面白く思わない仲間が複数いた。
鉄幹は「文壇照魔鏡」の覆面作家の正体は、ライバルの文学雑誌発行元「新声社」にかかわる高須梅渓と判断し告訴したが敗訴。以後謎の著者は闇に消える。
本書では、「文壇照魔鏡」の序文を書いたのは高須梅渓、鉄幹をこき下ろした本文は、秋田から上京し新声社に入社した文学青年の田口掬汀が書いたものとしている。
人間は清濁両面をもつものだ。高須梅渓、田口掬汀は後に足尾銅山鉱毒ルポを世に問う進歩的な面もあった。新声社は後に出版社の雄、新潮社となる。掬汀の孫は芥川賞作家・高井有一というのもドラマを感じる。
文壇推理物としても、人間の裏面を探求する書としても第一級の書である。