伝説の凄腕スカウトは見た!
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和田一浩の外野転向&2000安打達成を支えた大きな武器
西武、中日で2000安打を達成した和田一浩(現・中日コーチ)は、県岐阜商、東北福祉大、神戸製鋼を経て、捕手として1996年のドラフト4位で西武に入団した。 この年のドラフトは、井口忠仁(資仁…
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「28年間で素材は一番」 清原以上の大砲候補を和歌山の小さな分校で見つけた
「28年間のスカウト人生で素材は一番。高校1年時の夏の大会でたまたま目についたショートがいた。リストは強いし、パワーもある。肩も強い。体も大きくて185センチくらいあった。足も50メートル6秒を切る。…
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PL学園・松井稼頭央は身体能力&ルックスが高評価も右肩手術歴がネック、スカウト間の評価が割れた
鈴木は28年間のスカウト活動で数多くの逸材を担当、指名した。捕手の炭谷銀仁朗(2005年)のように1巡目で取った選手もいれば、中島宏之(裕之=00年5位)、栗山巧(01年4巡目)のように下位指名やド…
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協約違反で契約無効になった小島弘務を巡る根本陸夫流「親分の後始末」
1989年12月、西武はドラフト外で投手の小島弘務(現・浜松修学舎高監督)を獲得した。鈴木にとっての「隠し玉」だった。 平安高(現・龍谷大平安)から駒大へ進学するも、1年夏に中退。その後、か…
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“隠し玉”森山良二を単独1位指名した86年、根本陸夫さんは阿波野、西崎との「3頭取り」を想定していた
西武は1986年ドラフトでアッと驚く指名をやってのけた。 福岡大大濠高を経て、北九州大を中退した森山良二という無名投手を1位指名した。いわゆる隠し玉である。鈴木は言う。 「西武は森山と…
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球界の寝業師こと根本陸夫さんに教わったスカウト術 「スピードガンよりも自分の目を信じろ」「タクシーには乗るな」
スカウトの仕事と酒は切っても切れない関係にある。酒を口にしない鈴木は先輩スカウトの「酒を飲めないと勝負にならない」という言葉に「だったら、お茶で勝負してやる」とタンカを切った。 下戸なスカウ…
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松井秀喜を担当、星稜・山下監督と親交を深めた寿司とジュースのノンアル野球談義
甲子園で5打席連続敬遠の伝説をつくった星稜高の松井秀喜(巨人など)は、1992年ドラフトで巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団による競合の末、巨人の長嶋茂雄監督(当時)が当たりくじを引いた。 …
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KKドラフトの顛末…巨人スカウトに聞こえるように「ウチは清原と桑田を両方取る」と口にした
1985年のドラフトで、大阪・PL学園高の清原和博は意中の球団だった巨人にフラれ、西武入りした。巨人が同級生の桑田真澄を単独1位指名したからだった。 「KK」の指名を巡っては水面下で西武と巨人…
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1年目のキャンプから清原は「あと1センチ、横へ投げていただけますか?」とコースを指定した
清原和博のプロ1年目、担当スカウトの鈴木は、高知・春野キャンプで練習に付き添った。 個別の打撃練習でティーを上げ、守備練習ではノッカーもやった。 「僕と川岸良兼だったら、どっちの方が飛…
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制服と革靴で3連続本塁打した清原しかり…第一印象が大事、一回惚れた選手はずっと惚れたまま
西武は1985年ドラフトで6球団競合の末に、PL学園高の清原和博(西武、巨人など)の交渉権を獲得した。 しかし、担当スカウトだった鈴木は清原を密着マークしていたわけではなかった。 「清…
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巨人にフラれた清原和博の西武入団顛末 1位指名直後に根本管理部長と岸和田の実家に飛んだ
「KKドラフト」と呼ばれた1985年11月20日のドラフト会議。西武は、史上最多の甲子園通算13本塁打を放ったPL学園高(大阪)の清原和博を1位指名した。鈴木が担当したこの怪物は、阪神、中日、日本ハム…
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28年間のスカウト人生は岡田彰布の父親にワインとアジの開きを手土産にしたことから始まった
「僕は好きな選手しか取らなかった。好きだからいいなと思う。素直にストレートに行く。最後の会議で推すか推さないか、それしかないんです」 「選手は取ってみないとわからない。取らないと何も始まらない。…