「2代目キレンジャー」だるま二郎 杖つき就労支援施設通い
2代目キレンジャーになったのは55作以降、67作までの13作品。数こそ少ないものの、「ゴレンジャー」マニアの間では初代よりもインパクトがあったといわれている。
しかし、降板もいきなりだった。
「67作目の台本を渡されたら、『真赤な特攻!! キレンジャー夕陽に死す』ってタイトルになってる。舞台が終わって畠山さんが戻ってくることになったらしいんだけど、ボクはな~んも知らなかった。あれはヘコんだわ」
その後も俳優として活動するも、次第に先細りに。かくして広島にUターンし、カラオケ教室やイベント会社を弟と共同経営。
さらにデパートやスーパーの催事企画会社を経て、寿司職人になり、12年前、名鉄百貨店一宮店のグルメコーナーの寿司店店長に迎えられた。
「それまで住んでた埼玉県春日部市から引っ越してきて、勝負をかけた。それも8年前にすべてパーになったよ」
年に数回、戦隊モノのイベントやトークショーにゲスト出演している。
「初代キレンジャーの畠山さんは36年前に亡くなられたけど、アカレンジャーの誠直也さん、アオレンジャーの宮内洋さん、ミドレンジャーの伊藤幸雄さん、それにモモレンジャーの小牧りささんはお元気。来年は放映40周年。5人そろったイベントをやってみたいね」