東出昌大の“棒読み”も凌駕する 三島映画の白熱議論シーン
映画「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を筆頭に次々と大作の公開延期が決まり、映画業界は春にもかかわらず冷え切っているが、そんな中、さまざまな意味でホットな話題作が公開中だ。不倫騒動で世間を騒がせている東出昌大(32)がナレーションを務めるドキュメンタリー「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」(ギャガ配給)だ。
同作は興行収入ランキングで初登場7位。上映館数200~300を超える作品が上位を占めるなか、95館でのトップ10入りと大健闘をみせている。
東出は17日、本作のトークイベントに参加した後、急きょ囲み謝罪会見に応じた。唐田えりか(22)との不倫騒動発覚後の初の公の場ということもあって、その様子はワイドショーを賑わせ、くしくも映画の告知・宣伝にも一役買うことになる。初日満足度ランキング1位(映画レビューサービス「Filmarks」調べ)も獲得し、注目度は抜群というわけだ。
もっとも、三島作品の熱心な読者や学生運動に関心を寄せる者、そして、映画好きからすれば、一介の俳優の醜聞などどうでもいい話である。むしろ気がかりなのは“棒読み”。東出は以前より演技力や台詞回しを疑問が取り沙汰され、「大根役者」と揶揄されることも珍しくない。「三島由紀夫は見たいけど、東出のナレーションはどうなの?」と、二の足を踏んでいる御仁も少なくないだろう。
※この後は多少ネタバレあり
だが、その心配は無用だ。この映画に限っていえば、謝罪会見で見せた大喜利のような台詞回しはしていない。扱う討論の内容が政治的・思想的分野であり、フラットなトーンが求められる。東出の声も悪目立ちしたり、出しゃばることもなく、“あるべき場所”に収まっていた。ただ唯一、映画のシメとなる部分で「私たちに必要なのは、熱意と敬意と言葉だ」と語った時は、会見時の彼の失態(わきの甘さともいう)を思い出さずにはいられなかったが。
劇場が1969年東大駒場キャンパス900番教室に
それも些細な話ではある。ひとたび討論会が始まれば、1969年の東大駒場キャンパス900番教室に詰めかけた学生たちのように三島の言葉・立ち居振る舞いに魅了されること請け合いだ。
三島由紀夫からしてみれば、アウェーゲームどころかフーリガンの中で試合をするような討論会。集まった学生の中には「三島を切腹させる」と息巻く者もいる中、マイクを持つなり、ものの10分も経たずに観衆から笑い声と拍手を引き出し、牙を抜いてみせるから、カリスマとは恐ろしいものだ。もちろん三島由紀夫は論客としてもキレッキレだが、何より思いのほか、ユーモアや愛嬌も備えたチャーミングな人間なのである。
そういった彼の人となりだけでも十分楽しめる映画だが、興味深いのは、やはり自身の口から語られる三島の思想であり、「三島由紀夫自身による、三島由紀夫に対する脚注」としても面白い。
「三島さんにとって他者とはなにか?」という問いから討論は始まり、三島はそれに「自分は嫌いだけど」と前置きしながらサルトルのエロティシズムについて引用しつつ回答する。そこから議論は、政治的闘争から根本にある哲学・思想の領域にも踏み込んで行く。「文学者としての三島は好きだけど、政治的にはちょっと……」という人にとっても興味深い内容といえるだろう。議論がややこしくなってきたところで入る、小説家・平野啓一郎などの解説もありがたい。
不要不急の外出が自粛となった今週末、劇場に足を運ぶのは難しいだろう。自宅でおとなしく、三島由紀夫本を読んで映画の予習をするのも悪くない。
(ライター・キタハラセイヤ)