元木大介氏激白 「なぜボクはダイエーの1位指名を拒否しハワイへ野球留学したのか」
89年11月26日、都内で開かれたドラフト会議で「事件」が起きた。この年の目玉は新日鉄堺の野茂英雄(近鉄、ドジャースなど)。史上最多8球団の1位指名で話題をさらう中、ひとりの高校生が騒動の主役になった。大阪・上宮高の「超高校級スラッガー」と評価され、3度出場した甲子園で絶大なアイドル人気を獲得した元木大介氏(43)である。夏の甲子園後に巨人を“逆指名”、担当スカウトから1位指名を約束されたが、しかし、ドラフト会場で名前を呼ばれたのは、慶大の大森剛(現巨人育成部ディレクター)だった。元木氏が今、重い口を開く。
ドキドキしながらあの日の朝を迎えたボクは、学校の会議室でドラフト中継を見ていました。いよいよ憧れのジャイアンツの選手になれるんだ。そんな興奮を必死に抑えながら、テレビの画面を見詰めていました。
その約2カ月前、ボクは親父と野球部の山上監督と一緒に記者会見し、巨人入りの希望を公表しました。当時はまだ逆指名制度はなかったものの「巨人以外の球団に指名されたらプロへは行きません」と。こういうことを言うと、決まって巨人との密約があったんじゃないか? と勘繰られますが、誓ってそれはありませんでした。だって、密約があったら、あんな結果になるはずがないじゃないですか。
甲子園のアンケートなどには、好きな球団として巨人、南海、西武の3球団を挙げていましたが、やっぱり巨人は特別な存在。高校2年だった88年に開場した東京ドームでプレーするスター選手たちが、ひときわ光り輝いて見えました。
ドラフトが近づくにつれ、スポーツ紙の中には「巨人 元木を1位指名へ」と報道するところもあり、すっかりその気になって当日を迎えました。
他球団の1位指名選手が次々に読み上げられ、自分の名前が出ないことを確認しては安堵する。ようやく巨人の番になって、司会役のあのパンチョ伊東さんの甲高い「第1回選択希望選手 読売……」という声を聞き、よし、と思ったら……。「大森剛 慶応大学」と続きました。頭が真っ白になるとはあのことです。
えっ!? オオモリ? 元木じゃないの? 間違いじゃないの!? オレ、巨人に行けないの? 茫然自失のボクは会議室から監督の部屋に連れて行かれ、そこで泣きに泣きました。その後に会見をやりましたが、ほとんどなにも覚えていません。ダイエーが野茂さんの外れ1位でボクを指名したことも現実として意識できませんでした。