初出場決めた専大松戸 持丸監督支えた木内幸男氏との“恩讐”
「100周年の大会で優勝旗を持ち帰ることができたのは感無量です」
26日の千葉大会決勝で習志野を7-3で下し、春夏通じて初の甲子園出場を決めた専大松戸の持丸修一監督(67)がこう言った。
節目の年に勝てたのはもちろん、持丸監督にとって今回の甲子園出場はまさに「感無量」だったのではないか。持丸監督は野球部監督として竜ケ崎一、藤代を甲子園に導いた茨城県の県立高校教諭だった。監督でなく教員に専念させられそうになったのが嫌だったこともあって、03年に木内幸男監督の後ガマとして常総学院へ。木内監督の推薦もあったらしい。
野球部監督として思う存分、腕を振るえる環境を手に入れたものの、07年夏の甲子園初戦で京都外大西に敗れると、木内元監督から「真面目な優等生野球じゃ勝てるわけがない」とバッサリやられた。「監督失格」の烙印を押され、常総学院時代は甲子園で1勝もできないまま監督の座を退くことになった。
その年の暮れ、千葉の専大松戸の監督に。就任9年目にして、ようやく甲子園出場を果たした。