引退から10年…元巨人・條辺剛がうどんに賭けた第二の人生
幼少期から「夢」は飲食店経営だった
「最近は賭博問題で頻繁にお客さんに怒られてますよ。『巨人、何やってんだ』って。まあ、シーズン中もチームが負け続けるとボクがお客さんの怒りの受け皿。毎日謝ってばかりですよ」
11月某日。東武東上線・上福岡駅近くのお店を訪ねると、苦笑いでこう切り出した。かつて巨人の強力中継ぎ陣の一角を担ったことのある條辺さん。人柄の良さもあって思わずファンも巨人への不平不満をぶつけてしまうのだろう。
今から約10年前の01年。高卒2年目ながら長嶋監督率いる巨人の中継ぎ右腕として活躍。原監督が就任した翌年もリリーフとしてリーグ優勝に貢献した。ところが、この年を最後に右肩痛に苦しみ、以後3年間は二軍中心の生活に。05年オフ、24歳の若さで戦力外通告を受けると、「第2の人生」を余儀なくされた。
「小さい頃から飲食店を経営したい夢はあったのですが、実際に引退してみると、何をしたらいいのか全くわからなかった。そんな時、先輩の水野さん(雄仁氏=現野球評論家)の知り合いがやっている宮崎の製麺所を紹介していただきまして。その勤務を経て、香川県にあるうどん店で修行をさせてもらうことになったのです」
修行先は讃岐うどんの名店「中西うどん」。厳しかったのは野球界とは全く違う生活スタイルへの適応だった。
うどん屋の朝は早い。午前3時30分に起床すると、すぐにダシと麺の仕込みが始まる。眠い目をこすっても、うどん店の仕事は限られた厨房での単調作業が続く。簡単に目は覚めない。その裏で、営業中は1日15回程度、自ら麺を打つ重労働も加わる。立ち仕事は夕方まで続くため、疲労は想像以上だった。
■「うどんの見習いが外車でいいのか!」
苦しい時期を支えたのは、修行を共にした夫人の久恵さん(37)の存在だった。
「師匠はボクが厳しい修行の途中で逃げ出すと思ったんでしょうね。受け入れる条件として『彼女と一緒なら』と言われてしまったんです。プロ野球界からいきなり厳しい職人の世界ですから。師匠なりの配慮だったと思います。実際、彼女がいなかったらボクはどうなっていたか。巨人をクビになった直後、ベンツに乗っていたボクに『うどんの見習いが外車に乗っていいのか!』と厳しく叱ってくれたのも彼女。以降、ボクは原付バイクが愛車(笑)。今でも頭が上がりません」
二人は修行中に入籍。およそ2年の修行を乗り切った夫婦は08年4月、念願だったうどん店を久恵さんの実家に程近い上福岡駅近くにオープンさせた。
当初から「元巨人投手の店」という珍しさやメディアに多数取り上げられたこともあり連日大盛況した。毎朝約2時間かけて煮込むダシやコシ、ノビのある麺も好評で、一日800杯売れた日もあった。
「これならやっていける」
オープンから4カ月後の08年夏。うどん店経営に手応えを掴んでいた條辺さんだったが、ある出来事をきっかけに失意のどん底に落とされる。