熱中人大集合「お宝拝見」
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藤田佳子さん(女優)<4>
今年で17回目を迎えた、芸能人によるゴルフチャンピオン決定戦「叙々苑カップ」。藤田佳子は16回出場の常連だ。 当時、ゴルフをする女優は珍しかった。 「ゴルフ雑誌『アルバ』の『ゴルフ好き…
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藤田佳子さん(女優)<3>
上田友子プロにゴルフを教わりはじめたときから、プレーは「ノータッチ完全ホールアウト」を守った藤田佳子。 「ゴルフはあるがまま、と思っていたのです。ずっとノータッチでやっていると一緒にラウンドし…
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藤田佳子さん(女優)<2>
芸能界デビューから5年後、27歳でゴルフを始めた。それから3年間は付き合いで何度かプレーしたが、ゴルフの楽しさも分からず、ずっとオヤジのスポーツだと思い、距離を置いていた。 そんな時、不動産…
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藤田佳子さん(女優)<1>
「叙々苑カップ 芸能人ゴルフチャンピオン決定戦」では、毎年のようにベスグロをマークして豪華賞品をかっさらい、ゴルフ雑誌ではアマチュアと対決するなど、芸能界女性部門きっての腕前として知られている藤田佳子…
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釜本邦茂さん(日本サッカー協会顧問)<4>
毎年6月と12月の年2回。釜本邦茂がチャリティーゴルフ「釜本会」を開催するようになってすでに20回を数えた。大会は27ホール貸し切りで、コースは毎回違う。総勢200人から230人。Jリーガー、プロ野…
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釜本邦茂さん(日本サッカー協会顧問)<3>
日本サッカー界史上最高のストライカーといわれた釜本邦茂は、40歳で現役引退。それからはヤンマーでの仕事が忙しく、大好きなゴルフは月1回プレーできるかどうかだった。 引退から7年の間に「会員に…
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釜本邦茂さん (日本サッカー協会顧問)<2>
ラウンド時に「スコアは数えていない」と言いながら、スコア90は絶対に叩かない釜本邦茂は、パッティングに絶対の自信を持っている。 今から30年前、ある人物に「パットの極意」を教わった。バラエテ…
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釜本邦茂さん (日本サッカー協会顧問)<1>
日本サッカー史に残るストライカーである釜本邦茂。7年前からKBS京都で始まった「釜本邦茂の目指せ!!クラウン!シングルへの道」は今でも続く長寿番組で、ゲストと一緒にラウンドしながら、軽妙なトークが人…
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宮澤正明さん(写真家)<4>
ゴルフを始めてから30年。その間、購入したゴルフクラブは20セット以上。 「最初に買ったのはタイトリストでした。25歳の時です。当時は海外ロケが多く、たまたま入ったロスのゴルフショップでスタッ…
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宮澤正明さん(写真家)<3>
2006年にゴルフの故郷・スコットランドを訪れた。ハワイ、米国本土、オーストラリア、メキシコ、アジア諸国など、世界各国でプレーしてきたが、聖地に足を踏み入れるのは初めてだった。 伊集院静が講…
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宮澤正明さん(写真家)<2>
自己流でゴルフを始めたのは、25歳の時。それから5年間は「遊び感覚」のゴルフだった。コンペに参加し、年間30ラウンドをこなして、いつも100を切るか切らないかのスコア。 「コンペではブービーを…
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宮澤正明さん(写真家) <1>
ゴルフを始めたのは社会人3年目、25歳の時だった。当時、横浜ゴムの「プロギア」の仕事を一緒にしたのが、大のゴルフ好きのアートディレクター宮田識だった。彼の「写真だけうまくても、ゴルフのいい写真は撮れ…
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大西一平さん(元神戸製鋼ラグビー部主将)<4>
一本のパターとの出合いが、大西一平のゴルフ人生を変えた。昨年の暑い夏、仲のいい友人と久しぶりにラウンドした。一緒にゴルフをするのは3回目だった。 彼がキャディーバッグから取り出したパターを見…
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大西一平さん(元神戸製鋼ラグビー部主将)<3>
ラグビーを引退し、20年前にゴルフを始めると、もう面白くて面白くて仕方なかった。週に3回は練習場に通い、1週間で2000球も打ち込んだ。 「今思うと恵まれていたのですが、名門の柏CC(現在閉鎖…
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大西一平さん(元神戸製鋼ラグビー部主将)<2>
31歳でラグビーから引退した大西一平。引退直後に結婚し、それからゴルフを始めた。きっかけは対談だった。 「元ダンロップスポーツエンタープライズ社長の大西久光さんから、全国のゴルフ場に置いてある…
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大西一平さん(元神戸製鋼ラグビー部首相)<1>
■飛ばし屋と一緒になると対抗心に火が付く 大工大高、明治大学、神戸製鋼とラグビー一筋の人生を歩んできた大西一平。今から20年前、31歳でラグビーを引退すると、その直後にゴルフを始めた。 …
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青島健太さん(スポーツライター、キャスター)<4>
青島健太の書斎には、大事に飾ってある思い出の写真がある。バスケットの神様、マイケル・ジョーダンとのツーショット写真だ。 1996年、契約を結ぶナイキのプロモーションで初来日。TBSの仕事で1…
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青島健太さん(スポーツライター・キャスター)<3>
プロ野球界を引退後にオーストラリアへ渡り、日本語教師をしていた青島健太さん。現地で初めてゴルフを体験し、その魅力にとりつかれた。帰国後はスポーツライターとして、雑誌「ナンバー」で連載を持った。 …
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青島健太さん(スポーツライター・キャスター)<2>
31歳の時、日本語教師として単身でオーストラリアのビクトリア州ケラングに渡った。 「下宿先はメルボルンから北に280キロ北上したところ。アメリカでいえば、アリゾナのような砂漠地帯で、現地の人た…
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青島健太さん(スポーツライター・キャスター)<1>
今から26年前に31歳でプロ野球界を引退。その年のオフ、単身でオーストラリアのビクトリア州に渡った。現地で日本語を教えるためだった。引退しても、いつまでも野球にしがみつくのではなく、外国で新たな自分…