五木寛之 流されゆく日々
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連載11654回 作詞家としての親鸞 <2>
(昨日のつづき) 今様(いまよう)というのは、10世紀末あたりからしだいに世の中にはやり始めた庶民大衆の流行歌である。 それまで流行していた歌には、神楽歌(かぐらうた)や、催馬楽(さいばら)、…
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連載11653回 作詞家としての親鸞 <1>
最近、テレビをあまり見なくなった。 それでもツレヅレなるままにチャンネルをサーフィンして、面白そうな番組があると坐りこんで眺めたりする。 そんなふうな勝手な見かたのなかで、いくつかの番組を好…
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連載11652回 歌は世につれ、世は? <5>
(昨日のつづき) かつて<うたごえ>の時代、というものがあった。 あれほど日本人というものが、おおっぴらに声張りあげて歌った時代は、なかったと言っていい。 基本的に<うたごえ>の店に集る人…
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連載11651回 歌は世につれ、世は? <4>
(昨日のつづき) 歌は<世につれ>る。 しかし、<世は歌につれるか>? たしかに戦前から戦時中は、歌によって戦意が向上したことは間違いない。 〽わが大君に召されたる 命 栄えある朝ぼ…
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連載11650回 歌は世につれ、世は? <3>
(昨日のつづき) 昭和歌謡が人気だとかいっていても、しょせんそれはメジャーな流行ではありえない。 いま現在、テレビその他のメディアで流れている歌のほとんどは、昭和や平成時代の歌謡曲ではない。リ…
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連載11649回 歌は世につれ、世は? <2>
(昨日のつづき) 俗にいう流行歌、歌謡曲とは、いわばその時代の流行、世相、雰囲気を如実に反映しているものだ。 <世につれ>というのは、そんな現象をいうのだろう。 その反面、その時代に流行する…
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連載11648回 歌は世につれ、世は? <1>
いま昭和歌謡が人気だという。 本当だろうか。テレビの歌番組などでも、めったに昭和の歌を聞くことはない。もちろん<懐しのメロディー>的な番組ではしばしば昭和の歌が登場することもあるが、おおむね戦後…
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連載11647回 髪は失せても舌は。 <5>
(昨日のつづき) 〈沈黙は金>とか、<男は黙ってサッポロビール>とか、とかくこの国では口数の多いことは批判の的である。 『葉隠』などを読んでいても、多弁はよろしくない印象がある。 とは言うもの…
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連載11646回 髪は失せても舌は。 <4>
(昨日のつづき) <口舌の徒>という言葉がある。 口だけが達者で、行動がともなわない連中を軽視していう表現だ。 しかし、口舌、つまり喋り、語り、人の心を動かすのも、また行動ではないか。なにも…
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連載11645回 髪は失せても舌は。 <3>
(昨日のつづき) 中国の故事に、興味ぶかい話があった。 老子だったか、ほかの碩学の先生だったか忘れてしまったが、偉い古代の学者がいた。 そこに一人の真面目な弟子がいて、ながくその師について…
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連載11644回 髪は失せても舌は。 <2>
(昨日のつづき) 静岡駅到着後、迎えの車で清水へ。 静岡市はやたらと新しい建物が目立つ街だ。道路も広々として、かつての外地の市街を思わせる印象。 たぶん、駅の左右で市街地の風情がちがうのだ…
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連載11643回 髪は失せても舌は。 <1>
ひさしぶりで新幹線に乗った。 コロナの流行以前は、毎週のように新幹線で各地へ出かけたものである。ほとんどが講演の仕事のためだった。 それが火が消えたようにパッタリ途絶えて、旅をする機会もほと…
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連載11642回 厠を出て街へ出よう <5>
(昨日のつづき) 尾籠な話だが、むかし軍隊では「早飯早糞、芸のうち」という言葉があったらしい。 起床ラッパで飛び起きて、大急ぎで飯をかっ込み、大至急で大小の用を済ます。ぐずぐずしていると古参兵…
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連載11641回 厠を出て街へ出よう <4>
(昨日のつづき) 私は地方出身者のわりにはセッカチなタイプである。セッカチというか、あわて者なのだ。 何年か前に、デパートでトイレに駆けこんだら、中年の目の鋭いご婦人から、 「あなた、男性ト…
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連載11640回 厠を出て街へ出よう <3>
(昨日のつづき) 厠というのはトイレのことだ。 なんでも大昔は川の上にトイレをもうけたらしい。 いまでも地方によっては、別棟に小屋のような場所を建てている古い家もある。 私が敗戦後に外…
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連載11639回 厠を出て街へ出よう <2>
(昨日のつづき) 「書を捨てよ、街へ出よう」と寺山修司がアジったのは、同世代の若者たちに向けてのメッセージだったと思う。 彼がもし今、生きていたら、どう呼びかけただろうか。 「老人たちよ、街へ…
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連載11638回 厠を出て街へ出よう <1>
三上という言葉があるそうだ。 どうやら中国の故事らしい。よいアイディアが浮かぶ場所として、 <馬上> <枕上> <厠上> の3つをあげたのは、欧陽脩という人物だと広辞苑にでている。 …
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連載11637回 「他力」と「自力」の狭間に <5>
(昨日のつづき) アミダ仏という独特の仏が存在する。 一般の仏さんとは大きく違う、ユニークな仏であるとされる。どこが独特か。 それは、無差別、無条件ですべての人々を浄土に迎えようという独特…
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連載11636回 「他力」と「自力」の狭間に <4>
(昨日のつづき) 法然というその坊さんは、抜群に頭のいい人だった。それだけではない。その顔から声にいたるまで、触れ合う人々を魅了するオーラをそなえていたらしい。 一般庶民の共感を集めると同時に…
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連載11635回 「他力」と「自力」の狭間に <3>
(昨日のつづき) 先にあげた平安後期の流行歌謡である今様の話にもどろう。 <海山稼ぐとせしほどに――> という歌詞にでてくる<海山稼ぐ>とは何か。 当時は乱世だった。地震、争乱、旱魃、凶…