取材歴40年 ザ・直撃記者
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<10>ステージ4にもかかわらず招き入れてくれた中村勘三郎
「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三が祖父で、父は歌舞伎役者から映画俳優に転じた戦前の大スター沢村国太郎、そして兄は長門裕之という映画一家のサラブレッド、そう津川雅彦です。その独特の風貌と存在感は映画フ…
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<9>「空手なんてやんなきゃよかったよ」と呟いた松田優作
松田優作さんが40歳の若さで亡くなったのが1989年、もうすぐ30年が経とうとしています。その優作さんの次男で俳優の松田翔太は31歳、この春、都内の高級マンションへモデルの恋人、秋元梢と連れ立って入…
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<8>高畑淳子の怒声「あの子の人生が台無しになった!」
「あなたもジャーナリストの端くれなら、本当のことを書きなさいよ!」 閑静な住宅地に、女優高畑淳子の怒声が響きわたった。黒い喪服のような格好で、ものすごい形相だ。 長男、高畑裕太が強姦致…
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<6>宇多田ヒカル 歌姫がサラリーマンと並んで定食屋に
直撃取材して、芸能人にしゃべってもらうには、話しかける間合いなどにコツがある。自宅前でいきなり話しかけるわけだから、驚かせすぎてもいけないし、かといって、腰がひけていたら、歩き去られてしまう。相手の…
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<5>芸能人のスキャンダルを密告してきた羽賀研二のルーツ
梅宮アンナがセックスの経験人数を「付き合った数だけ」と答え、一夜限りといった相手はひとりもいないと断言して、話題になった。つい先日のことだが、アンナを知る関係者ならそうだろうとうなずいたと思う。 …
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<4>宮沢りえは貴乃花と破局後、深夜の六本木のバーで……
宮沢りえは「りえママ」こと母の光子さんのマネジメントで、あっという間にアイドルになった。光子さんが千鳥ケ淵にあった人気のホテルで毎年春に開く観桜会は、芸能関係者でごった返した。りえ18歳のときのヘア…
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<3>明菜の曲を歌うと“ママ”が「へたくそ」とダミ声でヤジ
中森明菜はかつて、六本木アマンド横の坂を下りたところにあるレンガ色のマンションと通りを隔てたマンションに住んでいました。レンガ色のマンションにはかつての恋人が住んでいて、スープの冷めないところで半同…
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<2>黒いスモークウインドーなのになぜ聖子だとわかったか
松田聖子は直撃取材の難しいタレントです。東京の成城に豪邸を構え、そこで生活しているのですが、近所を散歩することもなければ、スーパーへの買い物姿もほとんど目撃されたことがない。歩いて家から出てこないの…
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<1>山口百恵 シャッター音が響いた途端に笑顔が一変した
山口百恵さんが白いマイクを置いて、ステージを後にした1980年の秋。あの引退でファンの前から姿を消して以来、百恵さんは「幸せになります」と約束した通りの人生を歩まれています。 芸能界で活躍さ…