五木寛之 流されゆく日々
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連載10402回 老いと死をみつめて <1>
西部邁『自死について』(富岡幸一郎編著/アーツアンドクラフツ刊)を読むと、この著者がずいぶん早くから「死」について考えていたことがわかる。生涯に共著を含めて200冊をこえるという著者の仕事のなかから…
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連載10401回 物価の変動いま昔
私が九州の田舎から上京したのは、昭和27年の春だった。1952年のことである。 当時は福岡から東京まで、特急列車で24時間かかった。 大学の授業料が1万7000円だった。入学金が5万円。 …
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連載10400回 『群論』という考え方 <5>
(昨日のつづき) ちかぢか刊行予定の本の打合せにやってきた女性編集者が、 「ゲンロンカフェに出られたんですってね。前もって判ってたら絶対いってたのに」 と、残念そうに言う。 一緒にきてい…
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連載10399回 『群論』という考え方 <4>
(昨日のつづき) 『ゲンロンカフェ』は、五反田にある。本郷や新宿でないところがいい。残念ながら風俗街のどまん中ではなく、南口の蔦屋書店の脇をちょいとはいったあたりだ。 会場にはいって、すぐに60…
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連載10398回 『群論』という考え方 <3>
(昨日のつづき) 15世紀、蓮如という怪物が登場する。宗門では絶大な権威をもち、一般にはすこぶる評判の悪い宗教家である。 かつて私が『蓮如』という連載を中央公論で始めたときには、驚き呆れる人が…
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連載10397回 『群論』という考え方 <2>
(昨日のつづき) 渋谷のジァン・ジァンを皮切りに、いろんなところで『論楽会』をやった。 沖縄の古謝美佐子がうたう『童神』というオリジナル曲も、その中で生れた歌の一つである。「論」と「楽」のコラ…
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連載10396回 『群論』という考え方 <1>
昔、そう、あれは何十年か前のことだった。フリーのライターたちが集って、共立講堂で言論集会をやるから出ろと言う。 その会の名前が、ナントカ講演会とかいうタイトルだったので、首をかしげたことがある。…
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連載10395回 日々これ雑事に過ぎて <5>
(昨日のつづき) 神隠しというものは本当にあるものだ。もっとも消えるのは人間ではない。モノである。 ついさっきまで手に持っていたモノが消えている。どこかに置いたらしいのだが、いくら身のまわりを…
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連載10394回 日々これ雑事に過ぎて <4>
(昨日のつづき) 最近、というか近年、健康に関する記事や特集を新聞・雑誌でしばしば見うけるようになった。 以前からジャーナリズムは、健康を一つのテーマのように扱っていたものである。飲尿療法とか…
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連載10393回 日々これ雑事に過ぎて <3>
(昨日のつづき) 夕方から雨。先週から冬の服を仕舞って、薄着をしていたのだが、寒いのでツイードのジャケットを着る。 金沢市から文化政策課長の新保氏ほかのスタッフが訪れてきて、次回の泉鏡花文学賞…
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連載10392回 日々これ雑事に過ぎて <2>
(昨日のつづき) 前にもそのことを書いた記憶があるが、ある敬虔なキリスト者の言葉である。その人は多くの人々から尊敬され、見事な人生を送った人物だった。 その彼が、亡くなる直前に残した言葉という…
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連載10391回 日々これ雑事に過ぎて <1>
4月もなかばを過ぎ、桜も散ってしまったというのに、妙に寒い。 夜中に机に向かっていると、何度もクシャミがでる。冬物の衣類を片付けてしまったので、手当り次第に重ね着をするしかない。こういう時期が風…
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連載10390回 “運”の格差を考える <5>
(昨日のつづき) 現代社会の経済格差について、トマ・ピケティの提言は、結局、公的な施策が必要、ということだったようだ。 たしかに資本主義は本来、競争を前提とする。市場にまかせておけば、神の手が…
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連載10389回 “運”の格差を考える <4>
(昨日のつづき) 再び本題にもどる。現代の富の格差は、史上例を見ないほどに肥大している。これに関して反論はあるまい。 その経済的格差にどう対処するか。よく言われることだが、健全な中産階級の消滅…
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連載10388回 “運”の格差を考える <3>
(昨日のつづき) 桜は散ったが、妙に寒い日が続いている。 今日は私としては決死の覚悟で午前中に起きた。NHK総合TVの『ごごナマ』という番組に、ゲストとして出るためである。 この番組はとき…
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連載10387回 “運”の格差を考える <2>
(昨日のつづき) きのうは大谷選手の3ホーマーの快挙について書いた。ところが今日の新聞を見ると、開幕2連勝、12奪三振、1安打零封とかで大騒ぎである。 大谷選手の潜在能力は凄い。だが、ここまで…
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連載10386回 “運”の格差を考える <1>
格差社会である。そのことは、つとに議論の的になっている。 世界の富の大部分を1パーセントの連中が独占しているとか、下層民の増加とか、さまざまに言われている。 しかし、格差は経済の問題、金や収…
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連載10385回 海外出版界遠眼鏡 <5>
(昨日のつづき) 『出版ニュース』に連載された竹内和芳さんの「海外出版レポート・フランス篇」のダイジェストである。 私たちが若い頃は、「おフランス」などと言って、フランスは知性の国とされていた。…
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連載10384回 海外出版界遠眼鏡 <4>
(昨日のつづき) 竹内和芳さんの「海外出版レポート」のバックナンバーをアトランダムに読む。 その中にジャンヌ・モローの死について触れている文章があった。 ジャンヌ・モローとは、私は2度も対…
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連載10383回 海外出版界遠眼鏡 <3>
(昨日のつづき) いまは世界中の情報が、いながらにして流れこんでくる時代である。 いや、本当はそうでないのかもしれない。最近、しきりにそう思うようになった。 インターネット、テレビ、新聞・…