五木寛之 流されゆく日々
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連載10248回 健康記事に怯えて <2>
(昨日のつづき) その心療内科の医師の手記は、自分のこれまでの経験と、新しい治療情報の紹介が過不足なくまとめられていて、とてもいい記事だったと思う。 しかし、読後なんとなく違和感が残ったのは、…
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連載10247回 健康記事に怯えて <1>
このところ、というか、この数十年来、健康問題関連記事の花ざかりである。新聞、週刊誌をはじめ、テレビ番組でもそうだ。カラスの鳴かぬ日はあっても、マスコミに健康問題が取りあげられぬ日はないのではないか。…
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連載10246回 デラシネとしての宗教 <5>
(昨日のつづき) インドの神々が日本列島に渡来してこられたのは、柴又の帝釈天のみではない。無数の寺の仏像が故郷をはなれて流離、出離された仏さまである。 そういえば、かつて<ディスカバー・ジャパ…
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連載10245回 デラシネとしての宗教 <4>
(昨日のつづき) 『男はつらいよ』の寅さんの故郷は葛飾柴又である。 <私 生まれも育ちも 葛飾柴又です 帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します> …
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連載10244回 デラシネとしての宗教 <3>
(昨日のつづき) 21世紀の現在、もっとも信徒を増やしつつあるのはイスラム教である。7世紀ごろにアラビア半島に生まれたイスラム教は、聖地メッカ(マッカ)でわずか200人ほどの共同体からスタートした…
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連載10243回 デラシネとしての宗教 <2>
(昨日のつづき) デラシネなどという言葉と、いちばん遠いところに在るような気がするのが、たとえば宗教である。 「南無阿弥陀仏」 というような言葉は、すでに私たち日本人の血肉と化しているような…
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連載10242回 デラシネとしての宗教 <1>
〈移植された植物のほうがつよい〉という林達夫の言葉は、私にとって一つの啓示だった。 最初からその地に生まれ育ったものより、故地を離れて流離したもののほうがつよい。ここでつよいというのは、強国とか強…
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連載10241回 眠れない夜のために <5>
(昨日のつづき) 眠れない夜のために悩んでいるかたがたに、こんなユニークな意見をご紹介しよう。 高齢者が眠りが浅いのは当然だ。それと同時に、眠り過ぎというのも不眠の大きな原因になる、という説で…
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連載10240回 眠れない夜のために <4>
(昨日のつづき) 高齢者の安眠を阻害している原因の一つが、いわゆる頻尿である。 夜中に何度も目が覚める。そのたびにトイレに立つ。すぐにまた眠りにつければ、大した問題ではないが、これがなかなかす…
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連載10239回 眠れない夜のために <3>
(昨日のつづき) 「イツキさんは、一日にコーヒーを何杯ぐらい飲むんですか」 と、若い編集者にきかれた。 「さあ、どうだろうなあ。2、3杯、いや、時には4杯ぐらい飲む日もあるかもしれない。平均し…
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連載10238回 眠れない夜のために <2>
(昨日のつづき) 世の中にはいろんなタイプの人がいる。こと眠りに関しても千差万別だ。 横になったら10秒で大イビキという友人がいた。 「眠れないって、どういうこと?」 と、本気で不思議そ…
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連載10237回 眠れない夜のために <1>
このところ睡眠のリズムが大幅に狂ってしまって、どうにもならない。 昨年くらいまでは、ほぼ一定のリズムでやってきたのだ。一定のリズムといっても、私の場合は世間の常識からすると、とんでもない生活であ…
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連載10236回 「健康という病」について <10>
(昨日のつづき) 「健康という病」が、いまこの国を覆っている。 病んでいる人びとが健康を求める気持ちは切実だ。そのことを言っているのではない。「健康になりたい」のではなく、「健康でありたい」風潮…
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連載10235回 「健康という病」について <9>
(昨日のつづき) 「歩行」。歩くというテーマに関しては、私はこの数十年ずっと関心をもってきた。さまざまな歩行法をためしたり、近代日本人の歩行の歴史的変遷を調べたりして、いっぱしの歩き方の専門家のよう…
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連載10234回 「健康という病」について <8>
(昨日のつづき) 「整体とか、鍼灸とか、そんなものをためしてみてはいかがですか」 と、親切な編集者がすすめてくれた。 「しかし、ねえ。ああいう民間療法というのは、いまはどこも大繁昌だからなあ。…
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連載10233回 「健康という病」について <7>
(昨日のつづき) さて、「変形性股関節症」という病名は確定した。なんとなく安心するところがあった。 しかし、とりあえず脚の痛みのほうは、どうすればいいのか。以前は起つとき、坐るとき、歩く際に軽…
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連載10232回 「健康という病」について <6>
(昨日のつづき) 私が患者として、戦後はじめて訪れた病院の印象は、どうであったか。 もちろんテレビや新聞・雑誌などをとおして、現在の病院の状況はおおむね想像がついていた。 また自分は診察を…
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連載10231回 「健康という病」について <5>
(昨日のつづき) 私は13歳のときに外地、すなわち旧日本帝国の植民地で敗戦をむかえた。 当時、私たち一家が暮していたのは、現在の北朝鮮である。敗戦と同時に生活が一変した。現地の人びとの旧支配者…
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連載10230回 「健康という病」について <4>
(昨日のつづき) いまにして思えば、たぶん呼吸器になんらかの異常があったのだろう。息を吸いこむのは普通にできるが、吐くほうが苦しかった。思いきり息を吐いても、十分に吐けずに胸に圧迫感が残るのだ。た…
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連載10229回 「健康という病」について <3>
(昨日のつづき) 「あなたは健康ですか」 ときかれて、 「ハイ、健康です」 と迷わず即答できる人がどれくらいいるだろうか。 元気盛りの学生時代ならともかく、社会人ともなればなにがしかの…