落語界の松田聖子 桂あやめ大いに語る
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もうちょっとしたら古典に向いた声になるかも知れません
あやめは宝塚の熱狂的なファンで、好きが高じて、同好の落語家による「花詩歌たからづかファン倶楽部」を結成した。この会は毎年本格的な舞台公演を行っている。 「今年は5月に繁昌亭で開きました。演目は…
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相方は音楽の素養が半端やない シャンソンもいけるやないか
あやめと林家染雀の漫才ユニット、姉様キングスのライブで、音曲漫才以外にも、売り物ができた。 シャンソンショーである。ステージネームはマダム・アヤメビッチとミス・ジャクリーヌ。これがまた爆笑も…
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15万円のカツラの元を取ろうと音曲漫才ユニットを結成
あやめが後輩の林家染雀と姉様キングスという音曲漫才のユニットを組んだのは1999年のこと。きっかけは2人とも日本髪のカツラを持っていたことである。 「余興で芸者姿をすることになって、オーダーメ…
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子供に写真を見せ「この人があんたのお父ちゃんやで」と
2002年度芸術祭の参加公演で演じるもう一席は妊娠中の体験から作った新作「マル高VSヤンママ・真昼の決闘」にした。 「当時の私の半分の年齢(19歳)で出産する人が大勢いることから思いついたネタ…
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独演会パンフで報告 38歳でつくっちゃったシングルマザー
妊娠が分かったのは2001年の大晦日のことである。 「来年はおもろい年になりそうやな、と思いました。相手の男性とは彼の家族の反対もあって結婚には至らず、それならひとりで産んでひとりで育てるわ、…
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徹子さん「またいらしてね」 一度も出してもろうてまへん
被災した芸人としてテレビ出演が増えた。震災から1年後には「徹子の部屋」に出演する。 「被災してなかったら出られない番組です。出るなら辛気くさい話でなく、楽しい話をしようと思って臨んだんですけど…
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震災で実家全壊 実家にたどり着くと毛布に包まれた母が…
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。あやめは大阪に住んでいるので被害はなかったが、両親は神戸市内に住んでいた。 「老朽家屋なので全壊でした。1階にいた父は無事でしたけど、2階で寝…
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襲名披露では新作音曲囃「舞子さん」でトリをつとめた
事件の被害者として民放各局のワイドショーに出演し、講演の仕事まで飛び込んだ。転んでもタダでは起きないのが関西人である。 「講演の演題は、『人生、何が起こるかわからない』か『タダでは起きぬプラス…
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犯人は「スナックママ連続殺人事件」の凶悪犯だった
花枝を襲った犯人は、「警察に電話するなら10分たってからにしてくれ」と言って部屋を出ていった。 「アパートの階段を下りる音がしたので、すぐドアの鍵をかけたとたん、全身の力が抜けて動けませんでし…
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桂あやめ襲名の許し得た翌日、強盗殺人犯に首を絞められ
落語家と主婦の兼業に行き詰まった花枝は、どちらを選択するか迫られた。夫と姑は「子供ができたらやめるやろう」とたかをくくっていたようだが、子供ができてもやめるつもりは毛頭ない。落語家は天職なのだ。 …
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週刊誌に掲載されたSM大喜利の女王様姿が姑に見つかり…
若手の登竜門である漫才・落語の新人コンクールで最優秀新人賞を受賞し、さあこれからという時期、花枝は結婚した。 「子供の頃から読んでいた少女漫画の主人公が、『24歳になったらあなたのお嫁さんにな…
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神戸育ちだから「コテコテの大阪弁が似合わない」
男女雇用機会均等法が施行され、いくら男女平等だと言っても落語界では通用しない。落語は男が演じるように長い歴史を経て出来上がっているのだ。 「だったら『初天神』みたいに女、子供が登場するネタをや…
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「男を演じ始めたとたんに客が引くのがわかるんです」
弟子に取る際、小文枝は「どないなるかわからんけど、いっぺん来てみるか」と入門を許した。若い娘がいつまで続くか半信半疑だったようだ。 入門した1982年当時、女流落語家は大阪に露の都だけ、東京…
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波瀾万丈の半生…落語家としては邪道の限りを尽くしてきた
落語家は女性に向かない職業といわれ、私も演芸評論家としてそう公言していた。しかし、桂あやめを初めて見た時から、「物事には必ず例外がある」と言うようになった。私が認める唯一の女流落語家、桂あやめが、今…