阪神「金本解任」の内幕
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星野仙一を救い優勝に導いたのは“組織のありよう”だった
遠征先の宿舎が畳敷きの大部屋の頃、吉田義男は麻雀で悔しい負け方をすると「(おまえら)寝させへんぞ」と言い、あろうことか足で牌を混ぜて再戦を強いた。 「汚い根性やけれど、あれが吉田の活力、負けん…
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続投会見も一転辞任 安藤統男はクーデターで追い込まれた
昭和59(1984)年の秋。阪神は安藤統男の続投を決め、にぎにぎしく記者会見した。安藤の監督4年目はその日から船出だ。3位、4位、4位と過去3年の成績は芳しくなかったが、時の球団社長・小津正次郎から…
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キミを守れなかった…金本擁護から逃げた坂井信也オーナー
「俺はオーナーから長く(監督を)やれと聞いている」「約束してる」「それをあんたらは知らんのか」 1996年、藤田平は1シーズンで解任を通告するフロントに激怒し、時の球団社長の三好一彦ら役員と2…
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来季コーチの交渉中に急転…「続投一転解任」は20年前にも
深夜、東京のホテルで球団社長の揚塩健治は金本と会い、解任をほのめかした。揚塩の浮かない顔つきは見なくてもわかる。この時は「解任」でなく「辞任」という言葉を使ったらしいが、いずれにせよ、両人の間が緊迫…
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許せないのは金本監督を切った後の阪神の「作法の冷酷」さ
昨年の暮れ、自身の野球殿堂入りの大阪のパーティー会場で星野仙一は「金本が優勝するまであと2年、待ってやってください」と来賓に、何より当時のオーナーの坂井信也に頭を下げた。 年が明けてこの1月…