杉本英世 川奈の精神
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体を横に回して左に振り切るスイング シャフトは絶対に寝かせない
アジアサーキット転戦中に、杉本英世が香港のプロショップで見つけたロフト角8度のマグレガードライバーを手にしてから1969年の大活躍が始まった。 身長179センチ、体重86キロという当時のプロ…
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ティーアップしたボールだけを振り抜く練習でジャンボとの一騎打ちを制す
「香港オープン」直前に買ったマグレガーのドライバーは杉本英世のゴルフにピッタリなじんだ。 アップライト気味のドライバーを手にしてからイメージ通りの弾道が出るようになった。 ドライバー効…
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ダウンスイングは左半身リード フェードボールに徹してアジアサーキット初優勝
1969年アジアサーキットは開幕から3戦を終えて、杉本英世は一度も優勝争いに加わることができなかった。 4戦目の「香港オープン」直前にプロショップで手に入れたマグレガーのドライバーが躍進の転…
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新ドライバーを英国統治下の香港で手に入れて「年6勝の大活躍」
杉本英世はPGAツアーに初めて挑戦した翌1969年はアジアサーキットから始動した。この年に極東サーキットから名称が変わった。 2月から始まる初戦の「フィリピンオープン」を現地に赴き取材した。…
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日本人は身体の回転に沿ってクラブを振り抜くスイングのほうが向いている
杉本英世は1968年に主戦場を米国に移し、PGAツアーにフル参戦した。しかし、シード権は手にできなかった。 帰国後の翌69年は、弟子の村上隆と組んだダブルス戦を含め国内外で年間7勝と大活躍。…
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高弾道ボールの秘訣 飛ばすためにインパクトで体重を少し右足に残す
1968年秋、PGAツアーフル参戦から帰国した杉本英世のドライバーショットを見ると、以前より弾道が高くなり、飛距離が出ていた。 「ティーアップを少し高くして振り切っているので、キャリー(滞空距…
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米ツアーから帰国後、ティーアップは倍くらい高くなっていた
プロ9年目の1968年に、杉本英世は出場権を獲得したPGAツアーに主戦場を移してフル参戦した。しかし、シード権には手が届かず、シーズンが終わるとすぐに帰国。所属コースも東京よみうりCCからアジア下館…
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ひざを使うとクラブはスムーズに降り抜ける 体形と持ち球に密接な関係
PGAツアーにフル参戦した杉本英世が、最初に親しくなった米国人プロは5歳年上のオービル・ムーディだった。 ムーディは杉本と知り合った翌1969年のメジャー「全米オープン」でツアー初優勝を遂げ…
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PGAツアー参戦で痛感…腕と足の長さ、体形で球筋やスイングは変わる
1968年3月、30歳になった杉本英世はPGAツアー出場資格を取得するためにクオリファイングスクール(QT)を受験した。会場は米カリフォルニア州PGAウエスト(7261ヤード・パー72)。8日間8ラ…
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マスターズ会場で見たベン・ホーガンのスイング フェースは「オープン・ツー・クローズ」
日本開催の1966年「カナダカップ」で個人戦2位だった杉本英世は、翌年のマスターズに初めて招待された。 予選通過には2打及ばなかったが、ベン・ホーガンのスイングをオーガスタナショナルGCの練…
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「アイアン名手」ショージ・ヌードソンはひざの動きでスイング
1966年「カナダカップ」(現ワールドカップ=東京よみうりCC)は、団体戦がアーノルド・パーマーとジャック・ニクラスの米国ペアが優勝。日本は5位だった。 個人戦は通算16アンダーで並んだショ…
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バンカーショットの“コツ”はソールで砂を薄く削り取るように振り抜く
1966年「カナダカップ」(東京よみうりCC)に出場した日本代表には、当時勢いのあった杉本英世、河野光隆の2人が選ばれた。 団体戦では1番ホールから上がり18番ホールまで河野が先にティーショ…
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アプローチはピッチエンドランが易しく、1パットの確率も高くなる
東京よみうりCCで開催された1966年「カナダカップ」。杉本英世はジョージ・ヌードソン(カナダ)を1打リードして最終ホールを迎えた。 当時、所属先だった杉本にとってホームコースだ。隅から隅ま…
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ダウンスイングは右手で打ちにいってはいけない 左に引っかけるかスライスのミスを呼ぶ
1957年に日本で初めて開催された「カナダカップ」(現・ワールドカップ)は、団体、個人ともに日本代表が優勝した。団体は中村寅吉・小野光一ぺア。個人は中村が制して第1次ゴルフブームが起きた。 …
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コースを敵に回さないために ゴルフ練習は曲がるショットをイメージする
1965年10月の「グランドモナーク」でプロ3勝目を挙げると、杉本英世は翌66年春から好調なシーズンを迎えた。 2月から始まる極東サーキットにはタイオープンと香港オープンが加わって全6試合に…
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「二の腕返し」の教え サム・スニードの左ひじの使い方を見逃さなかった
クラブを振り抜くときの左腕の使い方(返し方)について、杉本英世は「二の腕返し」という言葉をよく使った。左肩から左ひじまでの上腕の使い方がキーになるというのだ。 クラブを振り抜くときに「手首を…
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スイングでの下半身の使い方 両膝は伸ばさずに「曲げた状態」で振り切る
杉本英世は1964年「日本オープン」(東京GC)で初優勝し、翌年10月の「グランドモナーク」(鳴尾GC)で2勝目を挙げた。 65年は米PGAツアーに5月と8月に2度遠征。 スペインで…
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ニクラスと同じだったパッティングスタイル 球足が長くなる
1965年カナダカップ(スペイン開催)で米国代表のジャック・ニクラスと同組でプレーしたことは、杉本英世にとってアイアンショットだけでなくパッティングも大いに役立った。 パットのアドレスが、ニ…
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ニクラスも陳清波も同じだった「ダウンブロー」、右手で打ち込まない
「アイアンはダウンブロー」と言うと、ボールに向かって右手で打ち込むショットだと勘違いしている人が多い。 しかし、1965年にスペインで行われたカナダカップ(現ワールドカップ)に出場した杉本英世…
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フォロースルーは左ひじを下に向けてシャフトを立てる 寝かせるのが一番よくない
プロ5年目の1964年「日本オープン」をフェードボールで初優勝した杉本英世は、翌年スペインで行われたカナダカップ(現・ワールドカップ)に出場した。 大会2日目に同じ組でプレーした米国代表のジ…