がん発症の妻にしてあげた10のこと
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<最終回>本を出す「思い出す度、故人は生き続ける」
佳江さんが2012年10月31日に亡くなってから6年の長い月日が過ぎた。小宮さんはある日、「秀和システム」の編集者と知り合い、「猫女房」というタイトルで追想本を出版することになった。 芸能人…
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<10>泣かない「夢の中で泣いてしまったことが妻にバレた」
2012年の夏も今年のように暑い夏で、病状が進行していた佳江さんは、東京・北区の十条にある義母の実家で過ごすことが多かった。 いよいよお別れは近づいている。しかし、小宮さんは妻の前で泣くこと…
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<9>一緒にがんを勉強する いまは患者が医療を選ぶ時代
佳江さんは決して“闘病”という言葉は使わなかったが、病気に関する知識を吸収しようと懸命に努力していた。「患者よ、がんと闘うな」という本と出合い、慶応義塾大学病院の近藤誠医師(当時)にセカンドオピニオ…
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<8>「闘病」と言わない 病気を受け入れる心境に達していた
小宮さんは、妻の病について、“闘病”という言葉を使わなかった。 「このことはお互いに話し合っていたわけではありませんが、彼女自身が“闘病”という言葉を使っていませんでした。“病と闘う”というこ…
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<7>誕生日を祝う「菊交じりの花束を贈って大泣きされた」
佳江さんの誕生日は12月30日。小宮さんはこの誕生日で泣かせてしまったことがある。 「クリスマスには必ずレストランで食事をしていました。ただ、結婚したての頃はお笑い系の仕事も多く、年末年始は忙…
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<6>尾崎豊を歌わない「大ファンの妻が怒り出す」
佳江さんと結婚する前、小宮さんは知人との飲み会の流れで彼女とカラオケスナックに行ったことがあった。 熱唱したのが、尾崎豊の「I LOVE YOU」だ。 「僕が『I LOVE YOU~』…
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<5>家事を手伝う 味噌も“寒仕込み”で手造りした
家事を一切やらなかった小宮さんは、結婚してから徐々に奥さんの家事を手伝うようになる。 「コメディアンとして出発した頃、先輩の『コント山口君と竹田君』の山口さん(ひろかず氏)の4畳半一間のアパー…
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<4>夫婦で全国「猫旅」に出かける 台湾やロシアへも
佳江さんが乳がんになった2001年、りゅうが家族の一員になった。アメリカンショートヘアの雑種の子猫で、背中や横っ腹の柄がイノシシの子のウリ坊に似ていたので、“ウリ”をひっくり返して“りゅう”と名付け…
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<3>手料理を褒める 「おいしい」と言わなければ伝わらない
結婚式の翌日、佳江さんが最初の夕食に作ってくれたのは、ロシアの代表的料理、ビーフストロガノフだった。料理上手だった彼女は、クリームシチューひとつとっても市販のルーは使わず、小麦粉をバターで炒めるとこ…
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<2>家を買う 猫好きの妻のために堂々と飼えるマンションを
2012年の秋、3LDKの賃貸を引き払い、杉並の分譲マンションを購入した。 「妻が在宅医療と在宅死を希望していたので、亡くなる前年ぐらいから新居を探しました。妻はずっと賃貸住まいだったので、い…
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<1>ヌードを撮る できあがりを妻はとても喜んでくれた
夫婦で過ごしたマンションに初老の男がひとり。一緒にクリスマスを祝う相手はいない。最愛の妻にがんが発症したら、夫は何をしてあげられるのか。2012年10月31日、14歳年下の妻・佳江さんを見送った小宮…