語り部の経営者たち
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ラフィネ 清水秀文社長(1)グループで全国約770カ所の店舗展開する業界の先駆者
仕事帰りや休日にたまった疲労を解消しようとリラクセーションサロンを利用する人は多いだろう。 リラクセーション業とはマッサージや足つぼなど、手技を用いて客の心身の緊張を弛緩させるための施術を行…
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クラブハリエ 山本隆夫社長(7)フラッグシップ店「ラ コリーナ」は滋賀県を代表する観光地へ
2011年にクラブハリエの社長に就任した山本隆夫氏(51)。15年にたねやとクラブハリエが本社を置く近江八幡市にフラッグシップ店「ラ コリーナ近江八幡」をオープンした。 23年のラ コリーナ…
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クラブハリエ 山本隆夫社長(6)滋賀県近江八幡市にフラッグシップ店「ラ コリーナ」を開店
阪神百貨店での成功が、東京への出店の足がかりとなり、クラブハリエの進出が加速。めまぐるしく変化していくクラブハリエを、社長の山本隆夫氏(51)はどう見ていたのだろうか。 「僕の中で、まだ組織が…
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クラブハリエ 山本隆夫社長(5)丸太状のバームクーへンを店舗にずらり…原点は幼少期の「丸かじり」
“ショップ・イン・ファクトリー”というコンセプトで、店舗に丸太状のバームクーヘンをずらりと吊るし、並べることを発案した山本氏。今でこそ、クラブハリエを代表するディスプレー方式となったが、その発案は、…
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クラブハリエ 山本隆夫社長(4)阪神百貨店の出店で2度目のチャンスが…“1週間で結果を”の条件
今でこそ“しっとりふわふわ”の食感のバームクーヘンは一般的になったが、1997年当時は、まだまだ“パサパサ”のイメージが根強く、クラブハリエにとって97年の草津近鉄店でのデパート初出店は厳しい船出と…
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クラブハリエ 山本隆夫社長(3)デパート初出店も「バームクーヘン嫌いやし…」とお客様の率直な声
クラブハリエでも、脱酸素剤を取り入れたことで、飛躍的に日持ちを延ばすことができるようになったが、クラブハリエの“しっとりふわふわ”のバームクーヘンが認知されるまでには、まだまだ道のりは厳しかった。 …
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クラブハリエ 山本隆夫社長(2)"ふわふわしっとり"の食感でバームクーヘンで価値観を覆す
19世紀に活躍した建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏が、クラブハリエのグループ会社である和菓子老舗店「たねや」がある近江八幡市に英語教師として赴任してきたことがきっかけとなり、「たねや」は洋菓子…
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クラブハリエ 山本隆夫社長(1)バームクーヘンの大ヒットで"たねや洋菓子部門"から大成長
まるで丸太を彷彿させる迫力。ガラス張りの店舗にディスプレーされた“バームクーヘン”に街ゆく人もクギ付けになる。この独特のディスプレー方法“ショップ・イン・ファクトリー”を生み出したのが、株式会社クラ…
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サンエル 辻橋英延社長(4)三重県の企業向けDX支援事業、地域の人たちに喜ばれる仕事がしたい
ウェブゲーム開発の撤退後に力を入れたのは、地元・三重県の企業向けDX(デジタルトランスフォーメーション)化支援事業だ。ウェブゲーム事業と大きく違ったのは、企業向けの顧客開拓は完全なアナログであること…
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サンエル 辻橋英延社長(3)ゲームアプリのバブル景気と失速
三重県松阪市で中高一貫校の同級生だった南治輝(現・副社長)から、2年ぶりに電話がかかってきた。 「地元での起業を考えている。ついては、辻橋に社長をやってもらいたい」 辻橋にとっては、あ…
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サンエル 辻橋英延社長(2)父親のがん治療費を稼ぐため、大学を辞めて営業マンに
サンエルは、三重県を中心に企業のデジタル変革を支援するIT企業だ。 1998年、辻橋は大学進学で上京すると、大都会の魅力に目を奪われた。 「東京の街って何でもあるんだなあという感じで、…
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サンエル 辻橋英延社長(1)企業のDX化支援とIT人材の育成に取り組む
サンエルは、三重県を基盤にシステム開発などを行うIT企業だ。 地方では、デジタル活用があまり進んでいない中小企業は少なくない。それらの企業の悩みに寄り添い、企画から設計・デザイン・開発・運用…
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サクラクレパス 西村彦四郎社長(4)「価格競争には力を入れない。価値を高め、高くても“欲しい”需要に応える」
西村社長が2014年に就任してから苦しんでいるのが、近年の原材料費の高騰化だという。 「一番苦しいのはこの1年、2年ですかね。コロナ禍やウクライナ情勢の影響で原材料費が急激に上昇。利益がぐっと…
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サクラクレパス 西村彦四郎社長(3)厳しい社会環境下で業績を伸ばせるかは工夫次第
時代の変遷とともに、多くの商品を生み出してきたサクラクレパス。西村氏にとって社長就任は青天の霹靂だったという。 「大学を出たあとに、アメリカに1年留学して入社しました。最初は営業に配属され、そ…
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サクラクレパス 西村彦四郎社長(2)水性「ボールサイン」はボールペン市場に革命を起こした
サクラクレパスは、前身となる「日本クレィヨン商会」が1921年に創業して以来、クレヨン、クレパス、絵の具といった画材系だけ扱っていたが、1959年に入って筆記具の開発・販売を始めた。 「196…
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サクラクレパス 西村彦四郎社長(1)クレパス、クーピー…自由画運動を切り拓いた創業100年企業
クレパスやクーピーペンシルを幼少期に手にしたことがある人がほとんどだろう。2021年に創業100年を迎えた「サクラクレパス」。西村彦四郎社長に、サクラクレパスの変遷と、社長に就任した2014年から約…
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バルニバービの佐藤裕久会長(4)食をベースに「住みたくなる街」をつくる
全国に飲食店を96店舗展開するバルニバービの佐藤裕久は、2016年、淡路島に荒れ地300坪を購入し、その後1万坪まで買い増し、4年がかりでカフェや居酒屋、ホテルなど17施設を開業した。現在、年間40…
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バルニバービ 佐藤裕久会長(3)「飲食業こそ不動産を取得せよ!」が持論
バルニバービ会長の佐藤裕久(62)は、大阪のバッドロケーションである南船場エリアにカフェレストラン「アマーク・ド・パラディ」(1995年)と、「カフェ ガーブ」(1998年)を開店し、大ヒットさせた…
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バルニバービ 佐藤裕久会長(2)「カフェで街を変えた男」ともてはやされた
バルニバービの佐藤裕久会長(62)は、1995年に発生した阪神・淡路大震災をキッカケに飲食店を始めた。「希望を失った人たちに食を通じ元気を回復して欲しい」と、95年12月、人通りが少なく、家賃の安い…
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バルニバービ 佐藤裕久会長(1)飲食店を始めたキッカケは阪神大震災 食には人を元気づける力があります
レストラン「カフェ ガーブ」などを全国展開するバルニバービの佐藤裕久会長(62)は、2016年、淡路島西海岸の荒れ地をまず300坪強、購入し、それ以降1万坪まで買い増しを続け、そこに約4年でカフェや…