五木寛之 流されゆく日々
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連載11861回 作詞家としての親鸞(1)
作家、井上光晴は<全身小説家>と自称した。自称したのか、文芸ジャーナリズムがそう呼んだのかは、はっきりしない。 これにならって言えば、親鸞のことを<全身宗教家>と呼んでもおかしくないだろう。 …
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連載11860回 きょう何を食べた? <4>
(昨日のつづき) <その人がどんなものが好きかを教えてくれれば、その人の生きた時代を当ててみせよう> と、いうのが私の提言である。 個人のキャラクターではない。時代がわかるのだ。 私は今…
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連載11859回 きょう何を食べた? <3>
(昨日のつづき) 私が5歳ぐらいのときに、支那事変が始まった。のちに日中戦争と呼ばれる対中国戦争である。 最初は小学校だったのだが、まもなく国民学校と名称が変り、国民学校生徒となった。 そ…
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連載11858回 きょう何を食べた? <2>
(昨日のつづき) 世間は大型連休とやらで楽しそうだが、こちらは連休明けに渡す約束の原稿に追われて仕事場にこもりっぱなしの休日だった。 朝は和食堂で、和定食。 金眼鯛の焼き物とオカラの煮物、…
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連載11857回 きょう何を食べた? <1>
有名な大食通、ブリア・サヴァランだったか、こんな言葉を残している人物がいたらしい。 <その人が何を食べているかを教えたまえ。そうすれば彼がどのような人物かを教えてあげよう> 正確ではないが、そ…
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連載11856回 共通言語のテロップ化 <3>
(昨日のつづき) 話が本題をそれて、養生について書いた。 なぜかといえば、テレビを観るたびに出てくるテロップがよく読めないことが、しばしばあるからだ。 なんとか日常生活にさしさわりのない程…
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連載11855回 共通言語のテロップ化 <2>
(昨日のつづき) 高齢化して困るのは、目と耳と口、である。 視力は50代から老眼鏡を使うことで、一応、問題なく推移している。 しかし私個人の好奇心から、この老化した視力の向上、再生はできな…
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連載11854回 共通言語のテロップ化 <1>
かつて<テロップ>というと、外国映画の画面の端に挿入される日本語の翻訳セリフのことだった。 出版物とちがって、もっぱら会話であるから、画面との呼吸が重要だ。名訳者といわれる翻訳家には女性が多かっ…
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連載11853回 昭和歌謡の抵抗線 <5>
(昨日のつづき) <昭和歌謡>といっても、いろいろある。 なんとなく歌謡曲、演歌系のメロディーが連想されそうな<昭和歌謡>だが、むしろポップス、ロック、フォーク系のほうが実際には時代の主流を占め…
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連載11852回 昭和歌謡の抵抗線 <4>
(昨日のつづき) 昨日、仕事がおそく終ったので、夕食をとっていない事に気づいた。 私は昼食抜きの日が多いため、夕食はガッツリ食べるのが習慣である。しかし、原稿を書く仕事は、なかなか予定通りには…
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連載11851回 昭和歌謡の抵抗線 <3>
(昨日のつづき) 詞が先か、曲が先か、あるいは振り付けが先か。 私にとっては、どちらでもいいと思っている。 実際にこれまで作ってきた歌は、詞が先のもの7割、曲先が3割といったところだろうか…
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連載11850回 昭和歌謡の抵抗線 <2>
(昨日のつづき) 〽おれは河原の枯れすすき という、なんとも情けない歌が、大正、昭和、平成、と歌い継がれ、令和のいまでも口ずさむ人がいるというのは、ひとえに、 〽同じお前も枯れすすき とい…
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連載11849回 昭和歌謡の抵抗線 <1>
<降る雪や明治は遠くなりにけり> 1966年(昭和41年)は、私が新人賞をもらってデビューした年である。 その年の春、国家的行事として「明治百年事業」が開始された。当時の佐藤栄作内閣の政策であ…
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連載11848回 言語の変質について <5>
(昨日のつづき) 言語には、音声と文字という2つの世界がある。 音声による伝達は、文字によるものよりもはるかに変化がはやい。 最近、テレビを見て感じるのは、出演者がいずれも猛烈なスピードで…
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連載11847回 言語の変質について <4>
(昨日のつづき) 要するに五目チャーハンだ。 正体不明の植民地標準語の上に、九州弁がかぶさる。それも純粋な筑後弁ではない。肥後熊のまじった混合方言である。 その後、上京して東京弁の世界に投…
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連載11846回 言語の変質について <3>
(昨日のつづき) 福岡のほうでは、「Yes」というときに、しばしば「ナイ」と言ったりする。 「タバコ、ありますか?」 と、売店できくと「ナイ」という返事が返ってくることが昔はあった。無いのか…
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連載11845回 言語の変質について <2>
(昨日のつづき) 当時の内地から外地へ渡ってきた日本人は、フロンティアへの野心にもえた人々もいただろうが、新天地で一旗あげようという野心家もいた。 〽せまい日本にゃ住みあきた という歌が流行…
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連載11844回 言語の変質について <1>
私は日本語のアクセントというものがよくわからない。アメ(雨)とアメ(飴)の区別がつかないのだ。 ハシ(箸)とハシ(橋)も同じようにフラットに発音する。 カキ(柿)とカキ(牡蠣)も区別しないで…
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連載11843回 無精の病は治らない <5>
(昨日のつづき) 治そうと思っても、どうしてもできない事が世の中にはある。 性格、資質、根性といったものもその一つだ。 努力をすれば人は変る、という説もあるが本当だろうか。 そもそも、…
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連載11841回 無精の病は治らない <3>
(昨日のつづき) 私の無精は、性格ではなく病気である、と前に書いた。 性格なら治しようもあるが、こと病気となると、そう簡単に事は運ばない。 反省はする。そのときは大いに反省するのだが、問題…