名門企業がなぜ 三菱自“転落”の必然
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<第8回>あるエンジニアの告白「三菱さんは脇が甘すぎる」
5月18日にはスズキも燃費試験データの測定方法で国の規定とは異なる方法で対応していたことが発覚し、鈴木修会長が謝罪会見を行った。 なぜこのような問題が相次いで起こるのかを複数のエンジニアに聞…
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<第7回>経営責任はどうなるのか 不公平人事に反発の動き
三菱自動車の益子修会長と相川哲郎社長は燃費データ不正の責任を取ってともに辞任する方向だったが、日産自動車による「救済買収」によって事態が急変している。開発部門を担当していた相川氏だけが辞任し、益子氏…
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救済買収 「金曜会ご三家」には渡りに船だった
日産自動車は、三菱自動車の株価が急落したことで、通常の半値という「お買い得」な価格で同社を簡単に傘下に収めることができた。これには、株価以外の要因もある。 三菱自動車をこれまで支えてきた三菱…
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<第5回>34%出資し傘下へ 日産ゴーン社長のしたたかな計算
事態は急転直下、5月12日、日産自動車が三菱自動車に34%出資、傘下に収めることが決まった。提携交渉のプロセスは異例だったが、「三菱消滅」を回避するためには結局、この手しかなかったようにも思える。 …
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<第4回>大衆尊重せず プライドだけは高い「重工DNA」の罪
三菱自動車が不祥事を連発するのは、組織風土も少なからず影響している。それが「重工体質」と呼ばれるものだ。 三菱自は1970年、三菱重工業が母体となって発足した会社だ。重工は発電設備や大型船、…
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<第3回>グループ重鎮の「板挟み」に苦悩した河添元社長
三菱自動車のコーポレートガバナンスは、誰が責任を持って意思決定をしているのか分からないことが多かった。 日産自動車が1999年、仏ルノーの軍門に下り、次は三菱自の番といわれ、案の定、2000…
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<第2回>バブル期 「パジェロ」人気にあぐらをかいたツケ
総会屋への利益供与事件(1997年)、2回のリコール隠し事件(2000年と04年)に今回の燃費データ不正問題。三菱自動車はこの約20年間で大きな不祥事を4回も起こした。その原因を考えていくうえでは、…
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<第1回>不祥事連発…20年間に9人も社長交代した異常体質
三菱自動車は、もはや外資に売却されるか、廃業しかない――。こう見ている業界関係者は多い。これまで同社を支えてきた「頼みの綱」である三菱重工業と三菱商事も、造船事業や資源エネルギー事業の不振などによっ…