林家染雀大いに語る
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「いかに自分の色を出すか。姉様キングスでアホなことを続けながら」
連載の初回に、染雀が上方の落語家を対象とした賞を複数取っていると紹介したが、最初の受賞は2001年のなにわ芸術祭新人賞だった。 「実は審査員のひとりがうちの師匠、染丸やったんです。2000年に…
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繁昌亭の厳格なルール「トリは大阪の落語家が落語を演じること」
染雀は桂あやめが座長の、「花詩歌タカラヅカ」というグループに入っている。 「兄弟子の花丸さんが大の宝塚ファンで、同じファンのあやめさん、笑福亭生喬さんと僕の4人で、宝塚歌劇のパロディーみたいな…
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芸人としての矜持「女装は舞台上だけ 趣味で女装はしません」
染雀は桂あやめと音曲漫才ユニット、姉様キングスを組んだことにより、仕事の幅は広がったが、「好事魔多し」の例え通り、B型肝炎にかかってしまった。 「目の色も顔もまっ黄色になって、即入院です。姉キ…
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「当時、吉本社内にかつらをかぶっていたはげのお偉いさんがいはって、ズラは禁句でした(笑い)」
染雀と桂あやめのユニット名は、当初ズラシスターズだった。 「テーマソングは昭和初期にはやった『浪花小唄』のメロディーに歌詞をつけました。『島田かぶっておしろい刷けば、違うあなたとホントの私。顔…
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「姉様キングス」結成秘話…「何とか元取らなあかんな。一緒に何かしよか」
入門した染雀の師匠、染丸は、落語の稽古をしてくれたのか。 「はい。実に丁寧な稽古でした。3人の弟子それぞれマンツーマンで稽古してくれはります。最後の『上げ』の時は、ビデオ撮影して、映像を見なが…
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卒業式直後に弟子入り志願 師匠はニヤッと笑って「来ると思うてたわ」
染雀には、芸能と関わりがある血族がいた。まず、父方の祖父母である。 「祖母は京都の花街、宮川町の芸妓でした。祖父は一時、大衆演劇の役者をしていた時期があったそうで、それも女形で」 染雀…
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浪人期間も「予備校で勉強する合間を縫って落語会に行ってました」
染雀が高校時代に初めて生の落語を聴いたのは島之内寄席だった。亡き笑福亭松鶴の肝いりにより、1972年にできた東心斎橋の寄席で、日本基督教団島之内教会内にある。 「当時は、トリが松鶴、中トリが仁…
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コロナ禍で仕事が激減「暇だからといって落語の稽古はしません」
上方落語の林家染雀は、大阪の落語家を対象にした賞を多数獲得している。なにわ芸術祭新人奨励賞、繁昌亭大賞、文化庁芸術祭優秀賞などだ。 また、女流の桂あやめと、「姉様キングス」という音曲漫才ユニ…