昭和スター千一夜物語
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吉幾三(4)「俺だって青森の歌手だ。なんでプレスリーだけが…」
吉幾三は物静かだが芯は強く、常に男を立てる寿佐子さんと東京下町のアパートで所帯を持った。前座歌手だけでは食えず、新婦も喫茶店のウエートレスなどをして家計を助けた。やがて寿佐子さんが妊娠すると、生活に…
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吉幾三(3)「全国津々浦々巡り、さまざまな体験もした。それが曲作りに役立った」
吉幾三のデビュー曲「恋人は君ひとり」はCMの反響で知名度は全国に広がり、関連イベントで一時は多忙だった。だが、船外機ヤンマーの販売促進には貢献したが肝心のレコードは売れない。吉は「恋人──」について…
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吉幾三(2)「東京さ行くだ~」
吉幾三の鎌田家は9人きょうだいの貧しい農家だから、当然のように中卒で就職である。演歌歌手を目指す末っ子は思い切って父親に「東京さ出て“紅白”で歌う歌手になる」と訴えた。しかし、吉を民謡の「跡取り」と…
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吉幾三(1)「オヤジの熱唱は観客の拍手だけだが、オレが出ると“おひねり”が飛んできた」
吉幾三ほど、半世紀も演歌の第一線でシンガー・ソングライターとして光り輝いているスターは少ない。青森の農家の9人きょうだいの末っ子で、父親は民謡を歌えば県下一の飲んべえ。出世した孝行息子を「おまえは一…
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萩原健一(10)芝居と音楽、仕事がショーケンの人生大学だった
女性を愛し、女性に助けられながらショーケンは類いまれな才能と、ワイルドな行動を繰り返す。そして、彼には商才もあった。彼は1985年ごろから事務所の経営も兼務して俳優と歌手の二刀流で突っ走り、90年代…
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萩原健一(9)「親密交際?どうやっても、オレが猪木さんに勝てるはずがないじゃないの」
大麻、飲酒人身事故と相次ぐ不祥事で世間を騒がせたショーケンは、いしだあゆみにも見放されて離婚。ところが翌1985年、映画「恋文」(監督・神代辰巳)で4つ年上の倍賞美津子と共演すると即、交際がはじまっ…
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萩原健一(8)「小説家に守秘義務はないのかね?」
大麻事件からの解禁後、ショーケンの事務所の桜井五郎社長と飲む機会があった。1年間のブランクでCMなどの賠償金をはじめ、ショーケンは多額の借金を背負っていた。もっともショックだったのは公判中に母親を亡…
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萩原健一(7)「正しいことをズバズバ言う。黒沢明監督にだけは何も言い返せなかった。でも…」
「祭ばやしが聞こえる」(1977~78年)で共演した、いしだあゆみと同棲後のショーケンは順風満帆。深作欣二監督の人気シリーズ「その後の仁義なき戦い」(79年=工藤栄一監督)に抜擢され、黒沢明監督の「影…
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萩原健一(6)美人で細身、しかもボイン…いしだあゆみにはショーケンが好む必須条件が揃っていた
ショーケンは1975年には初のソロアルバム「惚れた」の発表を契機に音楽活動も再開。小泉一十三と離婚して身軽になると俳優・歌手の“二刀流”スターは、ますます輝きを放った。しかし女難? いや、またしても…
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萩原健一(5)倉本聰がショーケンに出した「前略おふくろ様」の出演条件
ショーケンは「太陽にほえろ!」にゲスト出演した人気モデル出身の小泉一十三にひと目惚れ。同棲を経て1975年4月に結婚、9月には長女をもうけた。名前の「羽衣子(ういこ)」が交際のあった岸恵子の長女「麻…
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萩原健一(4)「俺は金のために仕事なんかしねぇ。やりたいことを好きにすんのが男でしょ」
「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事ことショーケンを取材したのは1973年夏、当時、世界一の高さを誇った新宿京王プラザホテルの喫茶室だった。石原裕次郎のテレビ解禁ドラマ「太陽に──」は回を追って高視聴率を…
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萩原健一(3)「ドラマは難事件と戦いながら青春を突っ走るマカロニ刑事の成長過程が軸」
ショーケンは1972年、松竹映画「約束」(斎藤耕一監督)で岸恵子と共演して密な仲になった。映画は犯罪者同士の列車内での熱い抱擁シーンが話題で、若鮎のような22歳の青年とパリ帰りの40歳の熟女のキスは…
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萩原健一(2)「相手は美人の国際スター、チャンスよ」
ショーケンの「ザ・テンプターズ」は1970年に解散して、沢田研二の「ザ・タイガース」のメンバーと「PYG(ピッグ)」を結成するが、ショーケンとジュリーの互いのファンが相殺したためうまくいかず、わずか…
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萩原健一(1)私は幸運にも、元GSスターの波乱に富んだ“青春”にいた
井沢八郎のヒット曲「あゝ上野駅」が巷間に流れる1960年代は、地方の中卒者が上り列車に乗って都会に集団就職。そんな時代、やがてエレキギターを鳴らして歌うグループが現れた。ベンチャーズ、ビートルズ、ロ…
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雪村いづみ(16)三人娘最後のいづみは87歳 ステージでは「不死鳥」であった
アメリカから1972年に帰国した雪村いづみはミュージカル路線を敷き「ウエスト・サイド物語」(74年)や「マイ・フェア・レディ」(75年)で好演、女優としても高い評価を得る。一方、私生活では原田忠幸と…
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雪村いづみ(15)娘と好きな人を手に入れるため、全財産をジャックにあげてター坊を選んだ
まだ1歳のマリアをアメリカに残して雪村いづみは1963年11月、夫のジャック・セラーと帰国。カムバックは翌年1月からで、いづみは全国180のステージをこなした。いづみが「心の歌を聞かせる歌手」を目指…
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雪村いづみ(14)「私たちの初孫はぜひ、アメリカで産んで欲しい」
雪村いづみは1961年6月、ジャック・セラーと帰国を決意した。日本では「いづみにアメリカ人の恋人出現」とか「傷心のミッキー・カーチス」などとマスコミが騒ぎ、羽田空港で網を張っていた。混乱を防ぐため、…
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雪村いづみ(13)「君なしでは生きていけない。すでに父親からは勘当され、ボクの行く場はない」
雪村いづみが出演する「ラテンカジノ」の舞台を清掃していた白人青年、ジャック・セラーは地元テンプル大学在学中のアルバイトだった。親切に楽屋まで案内してくれたジャックは身長180センチ、端正な3つ下のイ…
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雪村いづみ(12)心機一転、渡米を決意「もう一度、本場でジャズを」
雪村いづみはミッキー・カーチスとの4年越しの愛を貫き、母親や周囲の反対を押し切って1959年に婚約した。ところが、2人の人気に温度差が芽生える。ミッキーの人気は絶頂、自宅にまで若い女性ファンからの手…
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雪村いづみ(11)「この人は欲しい物は何でも手に入れたいタイプ。特に男性は」
日劇の楽屋で妹の彼氏だったミッキー・カーチスと出会った雪村いづみは、そっと電話番号をミッキーに渡した。実は、その瞬間を愛子さんは見ていた。「この人(いづみ)は欲しい物は何でも手に入れたいタイプ。特に…