昭和スター千一夜物語
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雪村いづみ(6)「この曲は私が歌うわ。これはいらないからペギーに回していいわ」
雪村いづみより2カ月“おねえさん”の江利チエミは音楽家の父親と女優出身の母親を持ち、一家を支えるために12歳の頃から米軍キャンプを巡演。ベースでは「エリー」の愛称で呼ばれるアイドル期を経て、キングレ…
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雪村いづみ(5)「一流の歌手に育てるからマネジャーをやらせてほしい」
中学を出たばかりの15歳の少女がダンスホールでジャズを歌い、ヌードダンスの「日劇ミュージックホール」では踊り子が踊った合間にたばこ売りの少女に扮して登場すると「オール・マイ・ラブ」などを歌った。そん…
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雪村いづみ(4)「生バンドで歌えるかい?」と聞かれ「はい、大丈夫です」と
母親の事業失敗などで8500万円の借金を背負い、朝比奈家は雪谷の屋敷を売り払って大田区の借家に引っ越した。中3のいづみは私立校から区立大森第十中学校に転校、音楽クラブの2人と仲良くなった。3人はそろ…
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雪村いづみ(3)壮絶な自死を遂げた厳格な父と美人で活発だった母
雪村いづみは1937年に目黒区の大岡山で生まれ、物心がついたころは雪谷の150坪の広い家に住む“お嬢さま”だった。厳格な父親・朝比奈愛三と美人で活発な母親・千恵子、そして妹の愛子(後の歌手)と弟がい…
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雪村いづみ(2)待機中の運転手に「お待たせして、すみませんね…」と紅茶とチーズケーキを…
朝比奈マリアが描いた二科展入選の「ピンクの馬服」はその日のうちに展示場から持ち帰ったため、朝比奈家にあった。同行のカメラマンが絵を中央にして雪村いづみとマリア母娘を撮影。しばしマリアとのインタビュー…
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雪村いづみ(1)初の直接取材の裏話 建前は娘・朝比奈マリアの取材だったが…
昭和のスター“三人娘”の元祖は同い年だった美空ひばりさん(享年52)、江利チエミさん(享年45)、そして雪村いづみ(87)である。演歌の女王と天才ジャズ歌手と青春を共にしたいづみは「オー・マイ・パパ…
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ジョン・レノン(9)大麻について矢継ぎ早に質問…予期した通り肯定的だった
ジョン・レノンが笑顔で「プリーズ」と両手を広げたので、私とサンスポの記者が交互に1977年度に起きた芸能人の大麻事件を説明した。ジョンは鷲鼻の途中まで下がった丸メガネを指で上げると「ここは外国の日本…
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ジョン・レノン(8)善意で招かれた取材なのに…デスクから「大麻のことを質問しろ」と注文
ジョン・レノン夫妻が“お忍び”で来日したのは1977年10月ごろで、この年は「芸能界大麻汚染」の取材に追われた年だった。レノン夫妻の来日は週刊誌や女性週刊誌などが奈良、京都、軽井沢……と2人を執拗に…
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ジョン・レノン(7)「ツーショットを1枚撮らせて」と食い下がるとOKが…2人に深く礼を述べ、退散した
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻は羽田空港から無線タクシーに乗ったので、追跡を開始した。ジョンたちの車は首都高にいったん入ったが、すぐに途中で降りた。尾行に気が付いたのだ。国道1号の品川あたりで突然…
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ジョン・レノン(6)「イギリスの宝を東洋の魔女に取られた」とオノ・ヨーコは非難された
ザ・ビートルズは1970年に解散するが、最大の理由はジョンが反戦活動家のオノ・ヨーコと出会って「のぼせた」ためだといわれている。リーダーのジョンは66年にヨーコにひと目ぼれすると前妻と離婚、69年3…
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ジョン・レノン(5)ジョンを意識した出で立ちで沢田研二を取材すると「どっちが芸能人?」と
ザ・ビートルズのファッションは解散(70年)後も生き続けた。影響を受けた私の服装の記憶をたどってみると、まずはパリで沢田研二との話。74年秋、私は「シャンソン音楽コンクール」関係の取材でロンドン-マ…
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ジョン・レノン(4)6歳年上の先輩も3つ下の後輩も…みんながビートルズにかぶれていた
「ザ・ビートルズ来日初公演」は1966年6月30日から計5回、日本武道館で開催され、これより日本武道館は「武道の殿堂」から「歌手の聖堂」色が濃くなった。 ビートルズが「エレキとボーカル」で世界…
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ジョン・レノン(3)自分と同世代のロックの演奏家が思春期の少女たちを失神させる光景に唖然とした
「ザ・ビートルズ来日初公演」は1966年6月30日夜、日本武道館で開かれた。7500人(警備上アリーナ席なし)の観客をのみ込んだ会場は中・高校生たちの「キャー!」と泣き叫ぶ少女たちの絶叫と、声変わり前…
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ジョン・レノン(2)長髪4人組の来日は経済、教育、思想問題まで巻き込んだ
「ザ・ビートルズ初来日」プロジェクトは招聘元のキョードー東京と主催の読売新聞と中部日本放送の3社。ビートルズ側の条件は1ステージにつき10万ドル(3600万円)=1ドル360円=を5回、つまり1億80…
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ジョン・レノン(1)丸メガネを鷲鼻からずらしたまま、上目遣いで話す澄んだ“瞳”が懐かしい
ザ・ビートルズのリーダー、ジョン・レノン(享年40)が逝って44年になっても「ジョンと1年半同棲した」という元女性秘書が現れ、ジョンとの同棲生活を綴った映画「ジョン・レノン 失われた週末」を発表。ジ…
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力道山(5)「医者から断食を命じられたのにガマンができなかった。死因は力さんの“短気”だったと思う」
1963年5月24日、東京体育館で行われた力道山対ザ・デストロイヤーの無制限一本勝負「WWA世界ヘビー級選手権」は壮絶な戦いだった。日本テレビの平均視聴率はなんと64.0%(関東地区)を記録。今日に…
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力道山(4)「1964年には東京五輪がある。頑張って代表になれば、東京でまた会える」
“リキ番記者”の松明邦彦夫人が「がんで余命3年」と知った力道山は、自分が懇意にしている病院の医師を紹介した。夫人は最高ランクの治療を受け、そのかいあって奇跡的に回復。夫人の寿命は10年も延びたのである…
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力道山(3)ジャイアント馬場が告白した想像を絶する「しごき」の中身
木村政彦を倒して名実ともにプロレス界の王者となった力道山だが、翌年の1955年、人気は急降下した。さまざまな外国人を招聘し、力道山は技に工夫を加えて熱戦を繰り広げたが第1次プロレスブームは去った。5…
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力道山(2)神戸新開地の電気店のテレビで観た伝説の「昭和の巌流島」
力道山を初めて知ったのは1954年ごろ、私は11歳だった。相撲界からプロレスラーに転じた力道山は当時、柔道家出身の木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と全国各地で戦っていた。日本テレビとNHKが相次…
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力道山(1)“リキ番記者”運転手だった私が見た炎のような激しさと優しさ
今年は戦後最大のスター、力道山(享年39)の生誕100年である。11月9日に都内のホテルで開催された「祝う会」には王貞治、張本勲、徳光和夫ら各界の著名人が集まり故人を偲んだ。日本にプロレスを輸入して…