昭和スター千一夜物語
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雪村いづみ(13)「君なしでは生きていけない。すでに父親からは勘当され、ボクの行く場はない」
雪村いづみが出演する「ラテンカジノ」の舞台を清掃していた白人青年、ジャック・セラーは地元テンプル大学在学中のアルバイトだった。親切に楽屋まで案内してくれたジャックは身長180センチ、端正な3つ下のイ…
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雪村いづみ(12)心機一転、渡米を決意「もう一度、本場でジャズを」
雪村いづみはミッキー・カーチスとの4年越しの愛を貫き、母親や周囲の反対を押し切って1959年に婚約した。ところが、2人の人気に温度差が芽生える。ミッキーの人気は絶頂、自宅にまで若い女性ファンからの手…
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雪村いづみ(11)「この人は欲しい物は何でも手に入れたいタイプ。特に男性は」
日劇の楽屋で妹の彼氏だったミッキー・カーチスと出会った雪村いづみは、そっと電話番号をミッキーに渡した。実は、その瞬間を愛子さんは見ていた。「この人(いづみ)は欲しい物は何でも手に入れたいタイプ。特に…
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雪村いづみ(10)もっとも盛り上がったのは「今だから告白できるミッキー・カーチスとの熱愛」だった
雪村いづみと「自伝・雪村いづみ」のインタビューでお会いしたのは2011年1月15日、午後2時、場所は恵比寿の「ウェスティンホテル東京」ロビー奥にある喫茶ルームだった。私より6つ上の彼女は73歳になら…
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雪村いづみ(9)「8500万円の借金があります」
若き日の雪村いづみは「熱しやすく冷めやすい」恋愛が多かった。娘が娘なら、親も親……? いづみが映画「三人娘」旋風が吹き荒れたころ、自由奔放に生きる母親の朝比奈千恵子は7つも年下の小倉勉氏と再婚。腸結…
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雪村いづみ(8)「ママ、黙りなさいよ。本番よ」
三人娘の映画「ジャンケン娘」で共演した雪村いづみ、美空ひばり、江利チエミは公私にわたって語り合える“親友”になった。馬が合った同い年の18歳たちの性格である。いづみは、いつもじっとしていられず万事に…
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雪村いづみ(7)“三人娘”でも歌手、俳優としても人気絶頂の美空ひばりは別格で…
雪村いづみはデビュー2年目の1954年に「オー・マイ・パパ」と「青いカナリヤ」を続けて大ヒットさせて人気を不動のものにし、NHK「紅白歌合戦」には「オー・マイ──」で初出場。そしてこの年、いづみは美…
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雪村いづみ(6)「この曲は私が歌うわ。これはいらないからペギーに回していいわ」
雪村いづみより2カ月“おねえさん”の江利チエミは音楽家の父親と女優出身の母親を持ち、一家を支えるために12歳の頃から米軍キャンプを巡演。ベースでは「エリー」の愛称で呼ばれるアイドル期を経て、キングレ…
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雪村いづみ(5)「一流の歌手に育てるからマネジャーをやらせてほしい」
中学を出たばかりの15歳の少女がダンスホールでジャズを歌い、ヌードダンスの「日劇ミュージックホール」では踊り子が踊った合間にたばこ売りの少女に扮して登場すると「オール・マイ・ラブ」などを歌った。そん…
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雪村いづみ(4)「生バンドで歌えるかい?」と聞かれ「はい、大丈夫です」と
母親の事業失敗などで8500万円の借金を背負い、朝比奈家は雪谷の屋敷を売り払って大田区の借家に引っ越した。中3のいづみは私立校から区立大森第十中学校に転校、音楽クラブの2人と仲良くなった。3人はそろ…
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雪村いづみ(3)壮絶な自死を遂げた厳格な父と美人で活発だった母
雪村いづみは1937年に目黒区の大岡山で生まれ、物心がついたころは雪谷の150坪の広い家に住む“お嬢さま”だった。厳格な父親・朝比奈愛三と美人で活発な母親・千恵子、そして妹の愛子(後の歌手)と弟がい…
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雪村いづみ(2)待機中の運転手に「お待たせして、すみませんね…」と紅茶とチーズケーキを…
朝比奈マリアが描いた二科展入選の「ピンクの馬服」はその日のうちに展示場から持ち帰ったため、朝比奈家にあった。同行のカメラマンが絵を中央にして雪村いづみとマリア母娘を撮影。しばしマリアとのインタビュー…
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雪村いづみ(1)初の直接取材の裏話 建前は娘・朝比奈マリアの取材だったが…
昭和のスター“三人娘”の元祖は同い年だった美空ひばりさん(享年52)、江利チエミさん(享年45)、そして雪村いづみ(87)である。演歌の女王と天才ジャズ歌手と青春を共にしたいづみは「オー・マイ・パパ…
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ジョン・レノン(9)大麻について矢継ぎ早に質問…予期した通り肯定的だった
ジョン・レノンが笑顔で「プリーズ」と両手を広げたので、私とサンスポの記者が交互に1977年度に起きた芸能人の大麻事件を説明した。ジョンは鷲鼻の途中まで下がった丸メガネを指で上げると「ここは外国の日本…
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ジョン・レノン(8)善意で招かれた取材なのに…デスクから「大麻のことを質問しろ」と注文
ジョン・レノン夫妻が“お忍び”で来日したのは1977年10月ごろで、この年は「芸能界大麻汚染」の取材に追われた年だった。レノン夫妻の来日は週刊誌や女性週刊誌などが奈良、京都、軽井沢……と2人を執拗に…
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ジョン・レノン(7)「ツーショットを1枚撮らせて」と食い下がるとOKが…2人に深く礼を述べ、退散した
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻は羽田空港から無線タクシーに乗ったので、追跡を開始した。ジョンたちの車は首都高にいったん入ったが、すぐに途中で降りた。尾行に気が付いたのだ。国道1号の品川あたりで突然…
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ジョン・レノン(6)「イギリスの宝を東洋の魔女に取られた」とオノ・ヨーコは非難された
ザ・ビートルズは1970年に解散するが、最大の理由はジョンが反戦活動家のオノ・ヨーコと出会って「のぼせた」ためだといわれている。リーダーのジョンは66年にヨーコにひと目ぼれすると前妻と離婚、69年3…
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ジョン・レノン(5)ジョンを意識した出で立ちで沢田研二を取材すると「どっちが芸能人?」と
ザ・ビートルズのファッションは解散(70年)後も生き続けた。影響を受けた私の服装の記憶をたどってみると、まずはパリで沢田研二との話。74年秋、私は「シャンソン音楽コンクール」関係の取材でロンドン-マ…
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ジョン・レノン(4)6歳年上の先輩も3つ下の後輩も…みんながビートルズにかぶれていた
「ザ・ビートルズ来日初公演」は1966年6月30日から計5回、日本武道館で開催され、これより日本武道館は「武道の殿堂」から「歌手の聖堂」色が濃くなった。 ビートルズが「エレキとボーカル」で世界…
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ジョン・レノン(3)自分と同世代のロックの演奏家が思春期の少女たちを失神させる光景に唖然とした
「ザ・ビートルズ来日初公演」は1966年6月30日夜、日本武道館で開かれた。7500人(警備上アリーナ席なし)の観客をのみ込んだ会場は中・高校生たちの「キャー!」と泣き叫ぶ少女たちの絶叫と、声変わり前…