沢田研二の音楽1980-1985
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ナベプロが新たな柱に社運をかけた状況で、ジュリーの立場は息苦しく…
前回少し出てきたのが、当時まだ18歳の吉川晃司である。 沢田研二と同じ渡辺プロダクション所属(ナベプロ)で、1984年2月1日に華々しくデビューする。 デビュー曲はもちろん「モニカ」…
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これでもかと飛び跳ねる高度な「自虐パロディー」
このシングル発売から約1カ月後、1984年5月31日のTBS系「ザ・ベストテン」のランキングは、 ▼1位:哀しくてジェラシー ▼5位:涙のリクエスト ▼6位:ギザギザハートの子守唄 …
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「ルックスと時代との不一致」が向かい風になったのか
「沢田研二の音楽」という連載だが、今回は「沢田研二の髪形」という話を書く。 いつか紹介した近田春夫「定本 気分は歌謡曲」(文芸春秋)という本。1978年から84年までの彼の歌謡曲評論コラムをま…
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なぜ姉妹曲「2億4千万の瞳」と売り上げで3倍もの差がついてしまったのか
いよいよ1984年がやってきた。 チェッカーズと吉川晃司(沢田研二にとって渡辺プロダクションの後輩)が大暴れしたこの年の音楽シーンは、個人的には大好きで「1984年の歌謡曲」(イースト新書)…
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「胎動」と「混迷」が交錯するシンドイ2年間
本連載もいよいよ最終コーナーに向かう。 1984年の音楽活動として、シングルは2月に「どん底」、4月「渡り鳥はぐれ鳥」。9月に「AMAPOLA」。アルバムとしては6月に「NON POLICY…
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禁じ手から表現が解放された最高に壮大な実験
よーく聴き込むと、魅力的なメロディーはあるのだ。1曲選ぶとすると、4曲目「さすらって」。サビ「都も秋になりましたか」「都は春になりましたか」がしっかりと耳に残る。もしシングルカット枠があったとしたら…
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「和×洋×中」のような異種混合かけ算
2024年秋の文化勲章の報道は「あしたのジョー」で名高い漫画家・ちばてつやの受章をメインとしたものが多かったと記憶する。 しかし、彼と同時に受章した残り6人のラインアップを見て、コアな沢田研…
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「日本人の心」対「ハート」の噛み合わなさ
グループサウンズ(GS)時代の沢田研二と、この曲の作曲者である当時ブルー・コメッツの井上忠夫(のち「大輔」)との関係は磯前順一「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」(集英社新書)に詳しい。 …
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内田裕也版のまま歌ってみたら良かったのに…
先に褒めておくと、タイトルがいい。「きめてやる今夜」──かっこいいじゃないか。また売上枚数は「背中まで45分」「晴れのちBLUE BOY」を超えた。「起死回生」とまではいかないが、追い風が吹いた感じ…
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タモリが「歌う日露戦争」と評した圧巻の紅白歌合戦パフォーマンス
「WEEKLYオリコン」(オリジナルコンフィデンス)の1983年5月13日号に掲載された沢田研二のインタビューに、こういうくだりがある。 ──<──今度の衣裳のイメージは、どういう感じになるん…
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時代の最先端に立つキレッキレの才能が集まったが…
沢田研二が表紙になっている「WEEKLYオリコン」(オリジナルコンフィデンス)の1983年5月13日号に掲載されている沢田研二のインタビューから。 ──<──詞の銀色夏生さんというのは、どう…
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大村雅朗による、原始人の祭りのような編曲は前代未聞にして空前絶後
作曲は大沢(現=大澤)誉志幸。この連載で追ったように「82年沢田研二プロジェクトの新顔」だった。「新星」と言い換えてもよいだろう。 だが、前回書いたように、この曲の最大の貢献者は「83年の新…
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劇的にかっこいい!1983年には「早過ぎた1曲」にKOされた
チューリップが1976年にリリースした、ビートルズのカバーアルバムのタイトルは「すべて君たちのせいさ All Because Of You Guys」(余談ながらチューリップの財津和夫と沢田研二は2…
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ムソリーニの孫娘アレッサンドラ作詞のバラード歌唱がずぬけている
アルバムとして全体をあらためて聴き込むと、やはり企画物ということだろうか、オリジナルアルバムとは違い、食い足りなさが残るのが正直なところである。 特に、当時の時代を代表する女性たちが書いた歌…
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「翔んでる女」から「渋谷系」に補助線が引ける不思議なアルバム
まったくもって不思議なアルバムである。 全曲の作曲は沢田研二、全曲の演奏はエキゾティクス、全曲の編曲はエキゾティクスのメンバー(吉田建、柴山和彦、西平彰)。ここまでは想定の範囲内だが、作詞陣…
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湯川れい子の歌詞はザ・タイガースのメンバーやファンを強く意識している
作詞は湯川れい子。1980年にシャネルズ「ランナウェイ」、81年に松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、84年にアン・ルイス「六本木心中」(編曲は伊藤銀次)、85年に小林明子「恋におちて-Fall…
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テクノポップな響きは、今聴いてもかなり魅力的だ
冒頭を聴いているとC-C-Bの「Romanticが止まらない」(1985年)かと思ってしまうテクノポップな響き。そして多くの人は思うだろう──「ザ・タイガースにこんなシングルあったっけ?」 …
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陽水があの柔らかい声で一言だけ…人生屈指の威圧感が虚脱感に変わった
今回は、いきなり余談から。 前回書きかけた、2019年春の井上陽水のコンサート(東京国際フォーラム)に、ご招待されたときの話の続き。 繰り返しになるが、そもそも私なんかが招待していた…
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実にゆったりと楽そうに歌っている感じがする
シングルが発売された1983年元日時点で「背中まで45分」のバージョンは3つあった。 1つはもちろん、その日発売された、沢田研二のニューシングル。2つ目は、すでにご紹介した前年12月10日発…
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「陽水」が広くまかれた環境で発売されていたら、もっと売れたのでは?
実験的な曲、そして「特区」のような曲だと前回書いた。 ただ、フォローするわけではないものの、1983年新年早々、この井上陽水の作詞・作曲による「特区」ソングを、高1の身で初めて聴いたときには…