五木寛之 流されゆく日々
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連載10045回 金沢はめずらしく晴れ <5>
(昨日のつづき) ギックリ腰は3日目を迎えても、まだ立去ってはくれない。魔女の一撃とよく言うが、原因はわかっている。机の前に長時間坐り続けたことの報いである。左脚をかばい過ぎて、腰に負担がかかった…
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連載10044回 金沢はめずらしく晴れ <4>
(昨日のつづき) 今朝、起きたらギックリ腰がさらに悪化している。ベッドから起きあがれない位の痛みである。 スケジュール表では、本日、夕方7時から新潮社の本社ホールで新潮講座の講演が予定されてい…
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連載10043回 金沢はめずらしく晴れ <3>
(昨日のつづき) 金沢から帰ってきた日の夜から、しきりに腰が痛みだした。 2時間半の新幹線とはいえ、ずっと坐りっぱなしだったのが良くなかったのかもしれない。 人類は坐ることで滅亡するという…
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連載10042回 金沢はめずらしく晴れ <2>
(昨日のつづき) 金沢から帰ってきて、一日おいた今日、夕方からNHKの番組の仕事でロバート・キャンベルさんと対談。 キャンベルさんとは初対面だが、以前、国文学系の雑誌でわが国の漢詩文に関する意…
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連載10041回 金沢はめずらしく晴れ <1>
泉鏡花文学賞の授賞式に参加するため、北陸新幹線で金沢へ。 あれこれと雑用が重なっていて、なかなかスケジュール調整がむずかしい。一時は朝の新幹線で金沢へ行き、授賞式を終えたあと最終便で帰ってくるこ…
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連載10040回 昭和ヒトケタ派の残影 <4>
(前回のつづき) しかし、昭和ヒトケタといっても、実は百人百様である。同じ時代を共有していながら、驚くほどその周囲の状況は異るのだ。 私より1、2歳年上のある現代史家は、戦時中、父親から「この…
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連載10039回 昭和ヒトケタ派の残影 <3>
(昨日のつづき) 前回、高井有一さんと会ったのは、やはり坪田譲治文学賞の選考の席でだった。 そのとき、高井さんは、椅子に坐ったり立ったりするのが、かなり不自由な様子だった。 「では、お先に失…
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連載10038回 昭和ヒトケタ派の残影 <2>
(昨日のつづき) いま、この原稿を公衆電話のあるコーナーで立ったまま書いている。仕事の都合で、部屋へもどって書く時間がなくなってしまったのだ。四十数年、こんなふうにしてこのコラムを書き続けてきた。こ…
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連載10037回 昭和ヒトケタ派の残影 <1>
高井有一さんの訃報を聞いた。 なんとも言えない暗愁をおぼえて、しばらくぼんやりしていた。 立松和平さんや鈴木いづみさんなど、私より若い作家の死を知らされたときの衝撃とは、また違う感慨である。…
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連載10036回 CMソングからの旅立ち <9>
(昨日のつづき) ひとつの季節が終ろうとしていた。 20代から30代にかけての10年間は、私の放浪時代といってもいいだろう。 九州から上京したのが、1952年(昭27)である。20代に踏み…
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連載10035回 CMソングからの旅立ち <8>
(昨日のつづき) 一般日本人の海外渡航が自由化されたのは、1964年である。それまではフルブライト留学生とか、政府の公式の職員ぐらいしか勝手に海外へは出られなかったのだ。 あれこれ出発のプラン…
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連載10034回 CMソングからの旅立ち <7>
(昨日のつづき) CMソングのライターをやっていた時代を、第1期とすれば、レコード会社の専属作詞家として童謡やその他の歌を書いていた時期は第2期ということになろうか。 なんとなく、そう、本当に…
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連載10033回 CMソングからの旅立ち <6>
(昨日のつづき) 永六輔/中村八大の六八コンビの歌が巷にあふれていた。その中でも、ことに印象ぶかかったのが、『遠くへ行きたい』だった。中村八大さんは、外地で生まれ育ち、戦後、内地へ引揚げてきた外地…
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連載10032回 CMソングからの旅立ち <5>
(前回のつづき) 時代は激しく動いていた。その頃のことを、私はこんなふうに書いている。 〈(前略)ケネディが暗殺され、その翌月には力道山が刺された。二十二歳のカシアス・クレイは「蝶のように舞い、…
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連載10031回 CMソングからの旅立ち <4>
(昨日のつづき) 東京-大阪間の新幹線が開通したときのことだ。 「新幹線をテーマに歌を作ろう」 と、会社側が言いだした。第1回目の自動車ショーが華々しく開催されたとき、小林旭の歌で、『自動車…
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連載10030回 CMソングからの旅立ち <3>
(昨日のつづき) そんなふうにして、CMソングの世界から一般的な音楽制作の現場への移行は、これという成功も失敗もなく始った。 この時代のことは、のちに小説にもいろいろ書いている。 『艶歌』と…
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連載10029回 CMソングからの旅立ち <2>
(昨日のつづき) ところで、このクラウン時代には、かなり雑多な仕事をいろいろやっている。当時、内幸町にあったNHKのラジオ局では、『夜のステレオ』という音楽番組の構成を引き受けていた。 まだ本…
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連載10028回 CMソングからの旅立ち <1>
当時の学芸部では、いろんな仕事をした。今はもう記憶にさだかではないが、LPレコードの構成・制作などもいろいろやっている。 〈東洋フォークソング・ミュージック〉〈ヨーロッパのうたごえ〉〈世界ミュージ…
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連載10027回 旅の始めはCMソング <18>
(昨日のつづき) レコード会社の学芸・教育部門にかかわった時代のことは、『デビューのころ』という本の中に、かなりくわしく書いている。 その一部を引用すると、こんな具合いだった。 〈レコード会…
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連載10026回 旅の始めはCMソング <17>
(昨日のつづき) きのうの記事に誤植があったので訂正させていただく。松本さんの名前が延端さんとなっているが、これは延靖さんである。なにしろ当時のことを知る人も少いので、この文章の中にもいろいろ間違…