五木寛之 流されゆく日々
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連載9997回 沖浦和光さんの思い出 <3>
(昨日のつづき) 瀬戸内の海を見おろす高台で、沖浦さんは熱のこもった口調で「家船」の人びとのことを語ってくれた。 天気のいい日で、海上には点々と船の群れが見える。 中国では「蜑民」と呼ばれ…
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連載9996回 沖浦和光さんの思い出 <2>
(昨日のつづき) 沖浦さんと瀬戸内のあたりをたずねたのは、もうかなり以前のことである。 この国の歴史は、ほとんど列島の内陸部、つまり平野や盆地を中心に語られてきた。それ以外の山地や海辺に住む人…
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連載9995回 沖浦和光さんの思い出 <1>
沖浦和光さんが亡くなられた後、いろんなところから追悼の文章を求められたが、なぜか書けずに一年が過ぎた。 こんど、沖浦さんの著作集が出るという。その紹介のパンフレットに、短い文章を寄せたのは、よう…
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連載9994回 お世辞の効用について <5>
(昨日のつづき) きょうは午後3時から田原総一朗さんとの3回目の対談。 あす金曜夜の『朝まで生テレビ』では、天皇制をテーマに番組をやるとのこと。田原さんは私と同世代だが、どうしてどうして、ぜん…
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連載9993回 お世辞の効用について <4>
(昨日のつづき) 「お世辞といってしまえばそれまでなんですけど、ほら、業界にはエールの交換というやつがあるでしょ。仕事を円滑に運ぶためには、人間関係がスムーズにいきませんと、なかなか大変なんで。そう…
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連載9992回 お世辞の効用について <3>
(昨日のつづき) カミ、ホトケにも世辞が必要であるということは、歴史をふり返ってみると一目瞭然だ。 古代の宗教儀礼は、神々を嬉ばせるために催された。神様が気に入るような供物を奉納し、文言をつら…
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連載9991回 お世辞の効用について <2>
(昨日のつづき) 古くから英雄、名君には良い家臣だけでなく、悪智恵のはたらく連中がそばにいた。こういう君側の奸を「佞臣」と呼ぶ。 どういうわけかこの手の家来には、巧みに世辞をつかう連中が多い。…
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連載9990回 お世辞の効用について <1>
人はおおむねお世辞を好むものだ。それが見えすいたお世辞だとわかっていても、やはり悪い気はしない。 おおむね、と書いたのは、まれにではあるが、お世辞にきびしい人もいるからである。他人のお世辞に苦虫…
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連載9989回 終わらざる夏の記憶 <5>
(昨日のつづき) いろんな夏が、やってきては過ぎ去っていった。記憶に残っている夏だけでも80回はあるだろう。 しかし、私の夏は、七十数年前に終ったのだという気がしている。 もの心ついてから…
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連載9988回 終らざる夏の記憶 <4>
(昨日のつづき) 『ラジオ深夜便』で放送した「歌う作家たち」を聴きのがしたと残念がる人が多い。「小説現代」の連載エッセイで、三島由紀夫のレコードについて書いたこともあるだろう。いろんな人から録音版を…
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連載9987回 終わらざる夏の記憶 <3>
(昨日のつづき) 歴史の風化ということが言われる。70年以上も前の敗戦の日を記憶している世代は、すでに高齢化した。 直接、戦争に参加した体験をもつ人びとは、すでに90歳以上だろう。 体験を…
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連載9986回 終わらざる夏の記憶 <2>
(昨日のつづき) 8月15日。 私たち昭和世代にとっては、忘れることのできない日付けである。 もう一つ、記憶にしみついて消せない日付けが、12月8日だ。これはあの時代に生きた世代だけがひそ…
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連載9985回 終わらざる夏の記憶 <1>
また台風がきそうだ。 この列島はよほど台風に好かれているらしい。 夏が昔から苦手だった。寒さにはかなり強いほうだが、暑さに弱いわけでもない。要するに冷夏が辛いのである。いつ頃からか夏は寒い季…
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連載9984回 古くなるほど新しい <4>
(昨日のつづき) NHKラジオの『ラジオ深夜便』で、番組を持ってから10年以上たったような気がする。 最初は『わが人生の歌がたり』というタイトルで、かなり長く続けた。自分の生まれた昭和7年ごろ…
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連載9983回 古くなるほど新しい <3>
(昨日のつづき) 若い頃、着るものを毎年あつらえて作ってもらっていた事があった。 洋服の上衣とか、ジャンパーとかは、すべてレディー・メードのものを着ていたから、ショップで買っていた。ただし、ズ…
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連載9982回 古くなるほど新しい <2>
(昨日のつづき) 先日、集英社から『裸の町』の再校ゲラが届いた。同社から出ている『冒険の森へ』シリーズの第6巻に再録されることになったため、一応、念のために目を通し、いくつかの訂正や加筆を加えた草…
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連載9981回 古くなるほど新しい <1>
たしか星新一さんではなかったかと思うけど、さだかではない。故人となられた先輩作家が、こんなことを言われていた。 「私はその時代の風俗とか、流行語などを、できるだけ作品中に使わないようにしている。な…
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連載9980回 言葉が死語になるとき <5>
(昨日のつづき) 死語となった言葉もそうだが、このところ同世代のオピニオン・リーダーたちが相いついで故人となった。 『きのうの続き』の録音版を聴き返してみると、永六輔も大橋巨泉も、声そのものが溌…
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連載9979回 言葉が死語となるとき <4>
(昨日のつづき) 死語というわけではないが、歳月とともに意味が伝わらなくなった言葉というものがある。 たとえば、「きのうの続き」。 1950年代の終り頃、首都圏に最後の民放ラジオ局が開局し…
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連載9978回 言葉が死後となるとき <3>
(昨日のつづき) 死語といえば、最近めったに耳にしなくなった言葉が「学問」という単語だ。 『学問のすすめ』は、出世するためには学問が必要だと説いて、当時の青年たちの心をふるい立たせた。 受験…