五木寛之 流されゆく日々
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連載10035回 CMソングからの旅立ち <8>
(昨日のつづき) 一般日本人の海外渡航が自由化されたのは、1964年である。それまではフルブライト留学生とか、政府の公式の職員ぐらいしか勝手に海外へは出られなかったのだ。 あれこれ出発のプラン…
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連載10034回 CMソングからの旅立ち <7>
(昨日のつづき) CMソングのライターをやっていた時代を、第1期とすれば、レコード会社の専属作詞家として童謡やその他の歌を書いていた時期は第2期ということになろうか。 なんとなく、そう、本当に…
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連載10033回 CMソングからの旅立ち <6>
(昨日のつづき) 永六輔/中村八大の六八コンビの歌が巷にあふれていた。その中でも、ことに印象ぶかかったのが、『遠くへ行きたい』だった。中村八大さんは、外地で生まれ育ち、戦後、内地へ引揚げてきた外地…
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連載10032回 CMソングからの旅立ち <5>
(前回のつづき) 時代は激しく動いていた。その頃のことを、私はこんなふうに書いている。 〈(前略)ケネディが暗殺され、その翌月には力道山が刺された。二十二歳のカシアス・クレイは「蝶のように舞い、…
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連載10031回 CMソングからの旅立ち <4>
(昨日のつづき) 東京-大阪間の新幹線が開通したときのことだ。 「新幹線をテーマに歌を作ろう」 と、会社側が言いだした。第1回目の自動車ショーが華々しく開催されたとき、小林旭の歌で、『自動車…
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連載10030回 CMソングからの旅立ち <3>
(昨日のつづき) そんなふうにして、CMソングの世界から一般的な音楽制作の現場への移行は、これという成功も失敗もなく始った。 この時代のことは、のちに小説にもいろいろ書いている。 『艶歌』と…
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連載10029回 CMソングからの旅立ち <2>
(昨日のつづき) ところで、このクラウン時代には、かなり雑多な仕事をいろいろやっている。当時、内幸町にあったNHKのラジオ局では、『夜のステレオ』という音楽番組の構成を引き受けていた。 まだ本…
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連載10028回 CMソングからの旅立ち <1>
当時の学芸部では、いろんな仕事をした。今はもう記憶にさだかではないが、LPレコードの構成・制作などもいろいろやっている。 〈東洋フォークソング・ミュージック〉〈ヨーロッパのうたごえ〉〈世界ミュージ…
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連載10027回 旅の始めはCMソング <18>
(昨日のつづき) レコード会社の学芸・教育部門にかかわった時代のことは、『デビューのころ』という本の中に、かなりくわしく書いている。 その一部を引用すると、こんな具合いだった。 〈レコード会…
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連載10026回 旅の始めはCMソング <17>
(昨日のつづき) きのうの記事に誤植があったので訂正させていただく。松本さんの名前が延端さんとなっているが、これは延靖さんである。なにしろ当時のことを知る人も少いので、この文章の中にもいろいろ間違…
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連載10025回 旅の始めはCMソング <16>
(昨日のつづき) やがてごく自然に仕事の関係で、レコード業界の人たちと会う機会も増えてきた。大手のレコード会社も、当時、世間をにぎわせていたCMソングに関心を抱いていたのかもしれない。 〽スカッ…
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連載10024回 旅の始めはCMソング <15>
(昨日のつづき) 1960年代のはじめ頃、CMソングの世界はさらなるブームを迎えようとしていた。年間広告費が250億ちかくに達したといっても、今ではべつに話題にもなるまい。しかし、半世紀前の業界と…
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連載10023回 旅の始めはCMソング <14>
(前回のつづき) 当時のCMソングの自作のものは、ほとんど憶えていない。なにしろ時には、日に何本という詞を作っていたのだ。 それでも、おぼろげに頭によみがえってくる名称がある。思いだすままに挙…
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連載10022回 旅の始めはCMソング <13>
(昨日のつづき) 『星をさがそう』のレコードが出た後、少しずつCMソング以外の歌の依頼も増えてきた。『神戸製鋼の歌』とか、『山崎鉄工の歌』とか、国産品愛用運動のキャンペーンソングだとか、いろんな種類…
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連載10021回 旅の始めはCMソング <12>
(昨日のつづき) 先週の原稿で、私の説明不足の部分があった。やなせたかしさんのお名前をあげたのは、当時やなせさんが冗談工房の永六輔さんや、いずみたくさんと組んで、ミュージカルの舞台美術や、『手のひ…
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連載10020回 旅の始めはCMソング <11>
(昨日のつづき) 当時、そのオフィスには、私より若い世代の作家たちも何人かいた。伊藤アキラさんなどもその一人である。一世を風靡した『オー・モーレツ!』とか、今だに続いている『この木なんの木』などの…
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連載10019回 旅の始めはCMソング <10>
(昨日のつづき) そのうちCMソング以外のライターの仕事も忙しくなってきた。一時期、運輸省の外郭団体の論説主幹などという肩書きで、経営者やお役人のインターヴューなどもやっていたのだ。 「そろそろ…
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連載10018回 旅の始めはCMソング <9>
(前回のつづき) CMソングというのは、本来、ドライなものである。余計な情緒とか、雰囲気とかいったものは、あまり必要ではない。明かるくなくてはならないし、強いリズム感が不可欠だし、商品名を連呼する…
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連載10017回 旅の始めはCMソング <8>
(昨日のつづき) CMソングのことを、当時の業界用語でジングルといっていたことは前に書いた。そのCMソングを専門に書くライターの職業が、まだ確立されていない時代である。コピー・ライターという言葉も…
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連載10016回 旅の始めはCMソング <7>
(昨日のつづき) そんなふうにして、二足のワラジで始まったCMソング制作の仕事だった。この時期の話は『風に吹かれて』や『デビューのころ』などのエッセイ集で何度も書いている。 なにしろ素人なので…