五木寛之 流されゆく日々
-
連載10025回 旅の始めはCMソング <16>
(昨日のつづき) やがてごく自然に仕事の関係で、レコード業界の人たちと会う機会も増えてきた。大手のレコード会社も、当時、世間をにぎわせていたCMソングに関心を抱いていたのかもしれない。 〽スカッ…
-
連載10024回 旅の始めはCMソング <15>
(昨日のつづき) 1960年代のはじめ頃、CMソングの世界はさらなるブームを迎えようとしていた。年間広告費が250億ちかくに達したといっても、今ではべつに話題にもなるまい。しかし、半世紀前の業界と…
-
連載10023回 旅の始めはCMソング <14>
(前回のつづき) 当時のCMソングの自作のものは、ほとんど憶えていない。なにしろ時には、日に何本という詞を作っていたのだ。 それでも、おぼろげに頭によみがえってくる名称がある。思いだすままに挙…
-
連載10022回 旅の始めはCMソング <13>
(昨日のつづき) 『星をさがそう』のレコードが出た後、少しずつCMソング以外の歌の依頼も増えてきた。『神戸製鋼の歌』とか、『山崎鉄工の歌』とか、国産品愛用運動のキャンペーンソングだとか、いろんな種類…
-
連載10021回 旅の始めはCMソング <12>
(昨日のつづき) 先週の原稿で、私の説明不足の部分があった。やなせたかしさんのお名前をあげたのは、当時やなせさんが冗談工房の永六輔さんや、いずみたくさんと組んで、ミュージカルの舞台美術や、『手のひ…
-
連載10020回 旅の始めはCMソング <11>
(昨日のつづき) 当時、そのオフィスには、私より若い世代の作家たちも何人かいた。伊藤アキラさんなどもその一人である。一世を風靡した『オー・モーレツ!』とか、今だに続いている『この木なんの木』などの…
-
連載10019回 旅の始めはCMソング <10>
(昨日のつづき) そのうちCMソング以外のライターの仕事も忙しくなってきた。一時期、運輸省の外郭団体の論説主幹などという肩書きで、経営者やお役人のインターヴューなどもやっていたのだ。 「そろそろ…
-
連載10018回 旅の始めはCMソング <9>
(前回のつづき) CMソングというのは、本来、ドライなものである。余計な情緒とか、雰囲気とかいったものは、あまり必要ではない。明かるくなくてはならないし、強いリズム感が不可欠だし、商品名を連呼する…
-
連載10017回 旅の始めはCMソング <8>
(昨日のつづき) CMソングのことを、当時の業界用語でジングルといっていたことは前に書いた。そのCMソングを専門に書くライターの職業が、まだ確立されていない時代である。コピー・ライターという言葉も…
-
連載10016回 旅の始めはCMソング <7>
(昨日のつづき) そんなふうにして、二足のワラジで始まったCMソング制作の仕事だった。この時期の話は『風に吹かれて』や『デビューのころ』などのエッセイ集で何度も書いている。 なにしろ素人なので…
-
連載10015回 旅の始めはCMソング <6>
(昨日のつづき) 私が訪れたその銀座のオフィスは、三芸社という名前だった。後で知ることになるのだが、戦後、冗談音楽で一世を風靡した三木鶏郎さんのグループの分社みたいな組織らしかった。 当時、ト…
-
連載10014回 旅の始めはCMソング <5>
(昨日のつづき) バンさんは簡単そうに言うが、たぶん戸惑っている私を励ますつもりだったのだろう。 CMソングが流行していることは知っていた。コマーシャルの創生期とはいえ、世間に流通しているCM…
-
連載10013回 旅の始めはCMソング <4>
(前回のつづき) 人間の記憶とは、なんといい加減なものだろう。これまで自分が書いたり、喋ったりしてきたことが、どれも多少ずつ違っていることに気付いて、ため息がでることがしばしばだ。 またウィキ…
-
連載10012回 旅の始めはCMソング <3>
(前回のつづき) この内外ビルの編集室にワラジを脱いで最初の何カ月かは、われながらじつによく働いたと思う。 午前中に東陸、つまり東京陸運事務所へ顔をだし、その後、丸の内の陸運局へ。運輸省など大…
-
連載10011回 旅の始めはCMソング <2>
(昨日のつづき) 当時のラジオ関東は、横浜の野毛山の中腹にあった。局の窓からは、横浜の街が一望できて、夜には外国船の霧笛などもきこえ、なかなか風情があったものである。 霧笛といえば、その頃のR…
-
連載10010回 旅の始めはCMソング <1>
私がいわゆるマス・メディアの世界に足を踏み入れたのは、1950年代の終り頃のことである。 6年ちかくいた大学を卒業できずに、“横に出て”しばらくたった頃のことである。退学したのは授業料が何年分も…
-
連載10009回 六〇年代をふり返る <5>
(昨日のつづき) 自分自身の60年代後半をふり返ってみると、じつに勤勉に仕事をしていたことがわかる。年齢からいっても30代前半だ。それまでストックしていたものが、一気に噴出したのかもしれない。 …
-
連載10008回 六〇年代をふり返る <4>
(昨日のつづき) あらためてふり返ってみると、その年(67年)は、本当によく仕事をしている。東京を離れて地方に住んでいることからの孤立感も作用していたのだろうか。中央のジャーナリズムや、いわゆる文…
-
連載10007回 六〇年代をふり返る <3>
(昨日のつづき) 私が職業作家として正式にデビューしたのは、1966年の春、「小説現代新人賞」を受けてからのことだった。 そのときの選考委員は、柴田錬三郎、北原武夫、有馬頼義、田村泰次郎、など…
-
連載10006回 六〇年代をふり返る <2>
(昨日のつづき) 60年代のことを年表だけで見ても、実際の時代の空気は伝わってこないだろう。 65年にアメリカのベトナム北爆が開始された。ベ平連が小田実を先頭に全国的な運動を展開する。ローリン…