五木寛之 流されゆく日々
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連載10003回 流れ流されて四〇年 <4>
(昨日のつづき) 一日一回、3枚足らずの原稿を書くという生活を何十年も続けていると、それが習慣のようになってくる。酒を飲んで帰ってきても、風邪気味で熱があっても、旅先でも、とにかく夜中の12時まで…
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【特別再録】 迫りくる玄冬の時代に <時代、09年>
「青春」は、文字どおり青くさい春の季節である。「朱夏」は、まっかに燃える夏だ。そして「白秋」。定年を迎え、自分の限界も知り、秋風の吹くススキの野を歩くような時期である。 やがて最後にやってくるのが…
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【特別再録】 野垂れ死の思想 <人生の終り、08年>
野垂れ死、という言葉がある。 旅の途中とか、流浪のはてに、道端で人知れず倒れ死ぬようなことをいうのだろう。 なんとなくみじめな、淋しい死に方のように思われる。身もともわからず、だれにもみとら…
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【特別再録】 『百寺巡礼』こぼれ草 <宗教、03年>
各地の寺を回って、驚かされるのが神仏習合の跡である。 那谷寺には白山神宮が同居しているが、各地でシメ縄を張った寺を見ることが少くなかった。 神仏習合、いわゆる悪名高きシンクレティズムというや…
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連載10002回 流れ流されて四〇年 <3>
(昨日のつづき) この雑文の連載が奇蹟的にきょうまで続いた背後には、いろんな人たちの数々のサポートがあった。物事は縁なくしては運ばないものなのだ。自力でやれることなどたかが知れている、と今更のよう…
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【特別再録】 超(スーパー)かもめ「ジョナサン」考 <サリン事件、95年>
この数カ月、カルト教団にまつわる無数の物語がうまれ、その幻影が日本列島中を徘徊している。マス・メディアによって増幅されたそれらの物語は、原型をはるかに超えたスーパー・ストーリーとして自由気ままに横行…
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【特別再録】 戦後五〇年の節目に <世相、95年>
戦後五〇年、というのは、単なる一つの刻み目にすぎない。しかし、私たちが忘れ去ったものの大きさを計る物差しとしては、ちょうど手頃な時間なのではあるまいか。私たちがこの五〇年間に失ったものは何か。忘れ去…
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【特別再録】R・アベドンとの一夜 <人物、92年>
もう、かなり昔のことになるが、ニューヨークでリチャード・アベドンに夕食をごちそうになった。場所は小さなイタリアン・レストランだったが、実はなかなか有名な店らしくて、そのテーブルをおさえられたことが、…
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連載10001回 流れ流されて四〇年 <2>
(昨日のつづき) 「流されゆく日々」というタイトルについては、これまで何度も書いた記憶がある。 私の記憶に残っていたのは、石川達三さんが(たしか「新潮」だったと思う)当時、連載されていたエッセイ…
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【特別再録】 <なしくずしの死>の終り <音楽、86年>
「阿部薫って誰ですか」 と、昭和三十七年うまれの編集者がきく。彼が阿部薫を知らないのは当然だろう。彼がゲバ棒のかわりにサックスをかかえて登場したのは、五月革命がドゴールの勝利に終って、パリのヒッピ…
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【特別再録】 記憶の中のカヤカベ教 <シャドー文化、83年>
戦後、朝鮮から引揚げてきて、両親の実家にしばらくいたことがあるのですが、そのとき何度か、〈カヤカベ教〉という言葉を耳にしたことがあった。 両親の実家は熊本県と福岡県の県境にあり、あの地域は農村と…
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【特別再録】 信仰と政治のはざまに <宗教、81年>
浄土真宗という宗教は、差別への鋭い目を向けてきた宗教だと思うんです。宗教そのものの本質的な問題として、差別ということを考えてきたのが浄土真宗という宗教であり、だからこそ時の権力者たちは浄土真宗に危険…
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【特別再録】 深夜に中世の闇を思う <歴史、80年>
中世の日本人たちは、その後の徳川時代を経た日本人とはちょっとちがうような気がします。中世の人々は、ひとことで言うととても複雑なんです。そして、ダイナミックです。 政治の残酷さというものをよく知っ…
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【特別再録】 細部に宿るものの世界 <クラフト、80年>
治安維持法が成立してしまった今、個人の力なんて無力なんだ、というある種の諦念、挫折感を持たざるを得なかった人たちが、その後どうしたのか。 小林多喜二のように真正面からぶつかることはできない、しか…
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【特別再録】 ボブ・ディランとソ連歌謡界 <音楽、78年>
ある日、モスクワに一人のグルジアなまりの男がギター片手に飄然と現われ、とても単調でわかりやすく、しかも叙情的な自作の詩を歌い出した。そしてその詩はたちまち、ひとの口から口へと伝わって、結婚式などでよ…
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【特別再録】 喫茶店とぼくらの生活 <文化・世相、77年>
北欧の町で、十九世紀末に、いわゆるボヘミアンという人種が大量に発生したことがあった。その当時のボヘミアンというのは、今でいうヒッピーのようなもので、自分の本能に忠実であり、酒を飲み、自由恋愛をし、女…
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【特別再録】 夜明けの高橋和巳 <人物、76年>
歯が痛むので折角の五月も灰色である。歯痛ぐらいで世界観が変わるのだから、人間なんていい加減なものだ。鈍痛がくり返しおそってきて、そのたんびに終末観にとらわれる。 電話で、高橋和巳を偲ぶ会に出て来…
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連載10000回 流れ流されて四〇年 <1>
きょうのこの原稿で、どうやら連載10000回になるらしい。あらためて、よく続いたものだと思う。 ある日、講談社を中退した川鍋(孝文)さんが、相談があるとやってきたのが、きっかけだ。話をきけば、こ…
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連載9999回 沖浦和光さんの思い出 <5>
(昨日のつづき) 歴史には陽の部分と陰の部分とがある。世の人びとは、もっぱら陽の部分に興味を示し、その土台にある陰の部分を無視しがちなものである。 たとえば、明治という時代についてもそうだ。国…
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連載9998回 沖浦和光さんの思い出 <4>
(昨日のつづき) 沖浦さんと共に、中国山地にサンカの人びとを訪ねたことがあった。 サンカという表現は、はたして正しいかどうかわからない。さまざまに議論の多いところである。 沖浦さんが瀬戸内…