五木寛之 流されゆく日々
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連載11536回 これまでと違う新年 <5>
(昨日のつづき) 毎年、正月の松の内は、なすこともなく部屋にこもって、本を読んで過ごす。 きょうは今年の仕事始めで、マイク・モラスキーさんと対談をした。物書きと対談をするときには、事前にその人…
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連載11535回 これまでと違う新年 <4>
(前回のつづき) 戦後七十余年、敗戦と戦後の記憶を体に刻みこんで保持している人々の数は、いまや少なくなった。 そしていま語られる記録としての戦後は、すでに脱色された資料となり果てている。 …
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連載11534回 これまでと違う新年 <3>
(昨日のつづき) 私は日本の敗戦を北朝鮮の平壌でむかえた。そして引揚げまでのタイムラグがあるために、日本本土における占領直後(米軍による)の実態と空気を知らない。帰国後も九州の山村に住んだので、米…
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連載11533回 これまでと違う新年 <2>
(昨日のつづき) <これまでと違う新年>というのは、これといって理論的な裏づけのある発言ではない。 私はもともと勉強が嫌いで、文章にするのはすべて90年の生活体験からきた感想である。 第2次…
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連載11532回 これまでと違う新年 <1>
正月なので『養生論』をひと休みして年頭の所感を。 コロナ禍の襲来とともに、夜型人間から昼型人間に激変して数年がたつ。 たぶん一時的な変異だろうとタカをくくっていたのだが、そうではなかった。い…
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連載11531回 私の体験的養生論 <8>
(昨日のつづき) 今年も大過なく一年が過ぎようとしている。<大過>というのは、大きな過失、思いがけない失敗のことなどをいうのだろう。 仕事のことに関しては、<小過>はいくつかあった。この連載も…
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連載11530回 私の体験的養生論 <7>
(昨日のつづき) 最近、<サスティナブルな>などという言葉をよく目にすることがある。簡単にいうと<持続可能な>という意味らしい。 少くとも<持続>ということが問題にされるようになったことは、悪…
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連載11529回 私の体験的養生論 <6>
(前回のつづき) 何度も言うようだが、養生とか健康法は一律ではない。 人間が一人一人ちがうように、その人の体質、気質に適した養生法というものがある。いや、それしかないと言ってもいい。 Aの…
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連載11528回 私の体験的養生論 <5>
(昨日のつづき) 私はふだんあまり酒をのまない。あまりというのは、ほとんどという意味である。 私が新人の頃は、酒をのまない奴は作家じゃない、みたいな風潮がまだ残っていた。<文壇酒徒番付>などと…
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連載11527回 私の体験的養生論 <4>
(昨日のつづき) 健康と長生きとはちがう。 しょっちゅう体調を崩しながら長命の人もいる。頑健な肉体をもちながら短命な人もいる。 たとえどんなに貧弱な体でも、私は長く生きるほうがいい。 …
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連載11526回 私の体験的養生論 <3>
(昨日のつづき) 裸になって全身を鏡に写してみることがある。風呂に入る前と後と、ごく自然にそうするのが習慣になっているのだ。 何十年もそんな事をくり返していると、自分の体の現状がいやでも確認で…
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連載11525回 私の体験的養生論 <2>
(昨日のつづき) 今にして思えば、私はずいぶん変な子供だった。 まだ小学校にも上らない頃、大人に年をきかれると、 「満5歳です」 と、偉そうに答えていた。当時は<数え歳>といって、生れた…
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連載11524回 私の体験的養生論 <1>
恥ずかしながら今年の秋、90歳になった。<恥ずかしながら>というのは、格好つけでも謙遜でもない。正直なところ雑駁な人生だったと率直に思う。古い言葉ではそういうことを「馬齢を重ねる」などと言った。馬に…
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連載11523回 法螺を吹くということ <5>
(昨日のつづき) 近頃、大きな法螺を吹く人間がめずらしくなった。なるほど、と納得させられる論を展開する才人は少くない。華麗な論理を展開してみせる識者もいる。 しかし、それがホラと知りつつも、思…
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連載11522回 法螺を吹くということ <4>
(昨日のつづき) ふり返ってみれば、作家生活60年あまりの年月のなかで、私もずいぶん法螺を吹いてきた。 思い返せば、顔が赤くなるようなこともあったし、ふり返ることさえ恥ずかしい仕事もある。 …
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連載11521回 法螺を吹くということ<3>
(昨日のつづき) 私は本当のことをグジグジ呟く人よりも、元気なホラを精力的に吹き続ける人のほうが好きだ。どうせ作り話とわかっていても、一向にかまわない。 真実は、ありのままでは見えない。何かに…
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連載11520回 法螺を吹くということ <2>
(昨日のつづき) ゴータマ・ブッダ、仏陀と呼ばれた人は、神でも仏でもなかった。彼は卓越した人間だった。 小国とはいえシャーキャ族の王族の一員である。それなりの教養は当然あっただろう。 しか…
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連載11519回 法螺を吹くということ <1>
自分の書いた本について、その意図を説明する際に、前置きとして、 <自分の本のことを書くのは気が引けるが――>と書いたら、ある出版社の編集者に笑われた。 「いまの時代にそんなこと言ってるようじゃだ…
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連載11518回 オノマトペの威力 <2>
(昨日のつづき) 月並みという言葉は、江戸時代の俳諧の席から生まれたという説がある。 とりあえず批判的な言い方であることはまちがいない。 月並みなテーマ、月並みなストーリー、月並みな表現、…
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連載11517回 オノマトペの威力 <1>
<オノマトペ>というものがある。<オノマトペア>というのが正式らしい。一般に擬音語と訳される。 「雨がシトシト降っている」とか、「心臓がドキドキした」とか、「赤ん坊がギャアギャア泣く」などと、ふだん…