五木寛之 流されゆく日々
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連載11576回 常時と非常時 <3>
(昨日のつづき) 年寄りが嫌われる理由が3つあるという。 1つは<むかし話>をする。 2つ目が<孫自慢>が長い。 3つ目が<病気の話>が多い。 まあ、大体こんなものだろう。私自身も…
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連載11575回 常時と非常時 <2>
(昨日のつづき) 非常時というのは、いわば戒厳令下にあるのと同じだ。そこでは平時のルールは通用しない。法律もそうだ。非常時、という規定とともに個人の人権も無視される。 それが非常時というものだ…
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連載11574回 常時と非常時 <1>
<非常時>という言葉は、かつて昭和の前期に激しく使われたものだった。 戦争の時代の一大流行語だったのである。 「この非常時に──」 と、町のリーダーや退役軍人たちが国民を叱る言葉である。 …
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連載11573回 『地図のない旅』の途上で <1>
エッセイと称するにはいささか品がなく、雑文と居直るにはパワーがたりない、そんな文章を半世紀以上も書いてきた。 取り柄といえば長く続いているくらいのものだろう。いま流行りの言葉でいえばレジリエンス…
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連載11572回 わが耳学問の師たち <3>
(前回のつづき) ターキー、こと水の江滝子さんが浅草のSKDにいた頃の国際劇場の黄金時代を私は知らない。 しかし、1950年代の後半、私は国際劇場では顔パスで劇場の食堂まで利用できる仕事をして…
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連載11571回 わが耳学問の師たち <2>
(前回のつづき) 往年のSKDの大スター、その後は日活映画などの敏腕プロデューサーとして活躍していた水の江さんから、直接の電話である。 はて、なにごとだろうかと、あれこれ考えた。デビューしてま…
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第11570回 わが耳学問の師たち <1>
私は若い頃からちゃんとした学問をしたことがなかった。大学も途中でやめたし、卒業論文も書いていない。 いや、卒業論文は何箇も書いている。ただし自分のためのものではなく、アルバイトで他人の卒論を引き…
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第11569回 『耳順』はアブない? <6>
(前回のつづき) 耳についで大事なのは、目である。さいわいにして健康な視力にめぐまれた人は、その視力がおとろえないように努力しなくてはならない。 活字を読むのは私の仕事なので、目に関しては長年…
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連載11568回 「耳順」はアブない? <5>
(前回のつづき) 耳を手でこする。子供の遊びみたいな話だと苦笑するかたもいらっしゃるだろう。そう、たしかに遊びのような話ではある。だから私はこれまで、そんな我流の工夫を人に話したことがなかった。エ…
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連載11567回 『耳順』はアブない? <4>
(前回のつづき) 聴力のトレーニングについていろいろ書いたが、これはあくまで私個人の<エビデンスなき養生法>である。 <エビデンス>、つまり科学的、医学的根拠なき独断的手法なのであって、当るも八…
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連載11566回 「耳順」はアブない? <3>
(昨日のつづき) 聴力を維持することは、高齢者にとってかなりむずかしい作業である。 私は自分勝手な方法でそれをやっているが、効果のほどは確かめようがない。 エビデンスなき養生法、というのが…
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連載11565回 「耳順」はアブない? <2>
(昨日のつづき) 議論というのは、対立する意見があってこそ意味がある。 「なるほど。まったくだね。賛成だ」 だけでは、議論をする意味がない。 反対意見をのべるには、相手の論旨が理解できる…
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連載11564回 「耳順」はアブない? <1>
映画『ダイ・ハード』シリーズのヒーロー、ブルース・ウィリスが認知症と診断されたニュースを新聞で読んだ。 『ダイ・ハード』はビデオで何回か見たおぼえがあるので、ちょっと心が痛んだ。彼は昨年、失語症を…
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連載11563回 「喋れば、都」のひととき ─M・モラスキーさんとの対話─ <5>
(昨日のつづき) モラスキーさんとの対談の話を書くつもりが、いつのまにか横道にそれて勝手な雑談になってしまった。 まあ、羊頭狗肉は世のならいである。モラスキー氏の対談の詳細を知りたいと思われる…
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連載11562回 「喋れば、都」のひととき ─M・モラスキーさんとの対話─ <4>
(昨日のつづき) モラスキーさんとの対談の前に読んだ本のなかに、『呑めば、都』(ちくま文庫刊)というのがある。東京の中心部ではなく<辺境>のさまざまな居酒屋体験をまとめた一冊だが、そのディテールへ…
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連載11561回 「喋れば、都」のひととき ─M・モラスキーさんとの対話─ <3>
(昨日のつづき) 最近は<むかし話>をしても、ほとんど通じなくなった。戦後の音楽シーンを体験している仲間たちが、ほとんどいなくなってしまったからだ。 「銀座の<テネシー>でね」 と、言っても…
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連載11560回 「喋れば、都」のひととき ─M・モラスキーさんとの対話─ <2>
(昨日のつづき) モラスキーさんの日本語は東京の下町仕込みなので、九州産の私よりよほど歯切れがいい。 『ジャズ喫茶論――戦後の日本文化を歩く』(筑摩書房刊)の巻末に付されている著者略歴を拝借して…
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連載11559回 「喋れば、都」のひととき ─M・モラスキーさんとの対話─ <1>
私事にわたるが、先日、マイク・モラスキーさんと対談をした。一般に雑誌の対談などでは、1時間半か長くてせいぜい2時間といったところだが、その時の対談はフリートークに近い規格外の長い対談になった。 …
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連載11558回 遊びながら努力する <5>
(昨日のつづき) 以前、といっても数年前のことだが、『婦人公論』の仕事で佐藤愛子先輩と対談をしたことがあった。 佐藤さんはおん歳九十ウン歳でいらっしゃる。90歳の私からしても大先輩だ。 小…
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連載11557回 遊びながら努力する <4>
(昨日のつづき) 認知症をなおすことはむずかしい。 しかし、その進行をおくらせることができるとすれば、それは一つの希望ではある。 加齢とともに人はボケる。当面、それを阻止する手だてはない。…