五木寛之 流されゆく日々
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連載11547回 男の更年期について <4>
(昨日のつづき) 私たちの昭和ヒトケタ世代には、ある奇妙な傾向があるらしい。 それは日常生活の中では近代科学の成果にドップリつかりながら、どこかでそれを信用していないところである。 笑われ…
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連載11546回 男の更年期について <3>
(昨日のつづき) テストステロンというのがいったい何なのか、私は知らなかった。 先ごろ角川新書の『LOH症候群』という本を読んで、いろいろ気になるところがあった。 それによれば、中高年男性…
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連載11545回 男の更年期について <2>
(昨日のつづき) 車は正しく扱いさえすれば、正しく反応する。思いがけない事故、などというものはない。すべてドライバーの不注意か操作ミスが原因であるといっていい。 エンジンや、サスペンションや、…
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連載11544回 男の更年期について <1>
更年期というものは、女性だけのものと思われていた時代があった。 「うちのカミさんも更年期にはいってね、なかなか大変なんだよ」 などと男たちがこぼしている光景が、よく見られたものである。 な…
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連載11543回 ある未亡人の妄想 <5>
(昨日のつづき) そう考えてくると、ボケというのは高齢期の人間の情けない凋落の姿ではなく、なにか一つの希望的側面が反映している現象のような気さえしてくる。 ボケが入りだした時期のマイナス的現象…
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連載11542回 ある未亡人の妄想 <4>
(昨日のつづき) 高松淳一医師の『デフォルメ鏡』の<プロローグ>の中の一節を読んだとき、私はふとある友人から聞いた話を思い出した。 彼はベテランの編集者であるが、地方都市の出身者である。大学を…
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連載11541回 ある未亡人の妄想 <3>
(昨日のつづき) ものがなくなった、盗まれた、と言いだすのは、認知症の一つの徴候とされるのは周知のとおりだ。<もの盗られ妄想>などともいうらしい。 私がこのところ繰り返し読み返している一冊の本…
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連載11540回 ある未亡人の妄想 <2>
(昨日のつづき) その未亡人は若い頃から気品のある美しさと、気さくなお人柄で評判のご婦人だった。外国の大学を出ていらして、近年まで短歌の結社でも活躍されていたという。 それだけに夫君の逝去後、…
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連載11539回 ある未亡人の妄想 <1>
ある個性的な作家がいらした。いらしたというのは、すでに故人となられたかただからだ。 私はそのかたの文体が好きで、何度かまねを試みたが、うまくいかなかった。やさしい書き方だが、その背後に無限といっ…
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連載11538回 これまでと違う新年 <7>
(昨日のつづき) マイク・モラスキーさんの『呑めば、都』(ちくま文庫)は、いまから10年ほど前に出版された本である。 一読、なぜかひどく懐しい気がしたのは、居酒屋という舞台のせいではない。私は…
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連載11537回 これまでと違う新年 <6>
(昨日のつづき) マイク・モラスキーさんと対談の冒頭、 「これを五木さん宛に託されてきました」 と、モラスキーさんから手渡された印刷物の束があった。 「先日、盛岡にいってきました。その折り…
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連載11536回 これまでと違う新年 <5>
(昨日のつづき) 毎年、正月の松の内は、なすこともなく部屋にこもって、本を読んで過ごす。 きょうは今年の仕事始めで、マイク・モラスキーさんと対談をした。物書きと対談をするときには、事前にその人…
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連載11535回 これまでと違う新年 <4>
(前回のつづき) 戦後七十余年、敗戦と戦後の記憶を体に刻みこんで保持している人々の数は、いまや少なくなった。 そしていま語られる記録としての戦後は、すでに脱色された資料となり果てている。 …
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連載11534回 これまでと違う新年 <3>
(昨日のつづき) 私は日本の敗戦を北朝鮮の平壌でむかえた。そして引揚げまでのタイムラグがあるために、日本本土における占領直後(米軍による)の実態と空気を知らない。帰国後も九州の山村に住んだので、米…
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連載11533回 これまでと違う新年 <2>
(昨日のつづき) <これまでと違う新年>というのは、これといって理論的な裏づけのある発言ではない。 私はもともと勉強が嫌いで、文章にするのはすべて90年の生活体験からきた感想である。 第2次…
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連載11532回 これまでと違う新年 <1>
正月なので『養生論』をひと休みして年頭の所感を。 コロナ禍の襲来とともに、夜型人間から昼型人間に激変して数年がたつ。 たぶん一時的な変異だろうとタカをくくっていたのだが、そうではなかった。い…
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連載11531回 私の体験的養生論 <8>
(昨日のつづき) 今年も大過なく一年が過ぎようとしている。<大過>というのは、大きな過失、思いがけない失敗のことなどをいうのだろう。 仕事のことに関しては、<小過>はいくつかあった。この連載も…
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連載11530回 私の体験的養生論 <7>
(昨日のつづき) 最近、<サスティナブルな>などという言葉をよく目にすることがある。簡単にいうと<持続可能な>という意味らしい。 少くとも<持続>ということが問題にされるようになったことは、悪…
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連載11529回 私の体験的養生論 <6>
(前回のつづき) 何度も言うようだが、養生とか健康法は一律ではない。 人間が一人一人ちがうように、その人の体質、気質に適した養生法というものがある。いや、それしかないと言ってもいい。 Aの…
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連載11528回 私の体験的養生論 <5>
(昨日のつづき) 私はふだんあまり酒をのまない。あまりというのは、ほとんどという意味である。 私が新人の頃は、酒をのまない奴は作家じゃない、みたいな風潮がまだ残っていた。<文壇酒徒番付>などと…