日本史再見 英雄になれなかった男
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謀叛の疑いで改易された本多正純 徳川家康に親子で貢献も
徳川家康・秀忠親子に仕え、権力の中枢に食い込みながら、改易させられてしまったのが、謀将・本多正信の嗣子・正純です。正純の失脚には有名な「宇都宮釣天井事件」の伝説まで生まれました。 家康の帷幄…
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足軽から32万石に…藤堂高虎は主人を6度替え大大名に出世
戦国時代、主人を6度も替え、徒手空拳から大大名に出世したのが藤堂高虎です。 高虎は弘治2(1556)年、近江国犬上郡藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町)の土豪・藤堂虎高のもとに生まれました。身長…
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奇跡の旧領復帰を果たした 無敗の武将・立花宗茂の離れ業
立花宗茂――。この名前を聞いて「誰?」と首をひねる人もいるかもしれません。宗茂は若き日、主に九州北部で活躍した戦国の武将。私は彼を、乱世の奇跡として称賛しています。 宗茂のすごいのは関ヶ原の…
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大坂夏の陣で無念の死…真田信繁は才覚を発揮できず
真田幸村は戦国時代を代表する武将。幸村は俗称で、正しくは「信繁」といいます。 彼は不運の武将として名を残しました。なにしろ勝てるはずの戦で、命を落としたのですから。 信繁は永禄10(…
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新陰流を政治レベルに 一兵法家から大名に出世した柳生宗矩
時代劇でよく耳にするのが、「柳生」という武門です。映画「柳生一族の陰謀」やドラマ「柳生十兵衛あばれ旅」など、少なくありません。 柳生一族には、有名人がたくさんいます。新陰流の開祖・上泉伊勢守…
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秀吉の粛清から娘を救えなかった山形城主・最上義光
戦国時代の東北の武将といえば、伊達政宗を思い浮かべるかもしれませんが、山形城主・最上義光も忘れてはいけません。 彼は武将の資質に恵まれながら、時勢を読み違えるミスを犯し、娘を失うという悲劇を…
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足軽から異例の出世 「伊賀同心」を率いた忍者・服部半蔵
服部半蔵は、誰もが名前を知っている忍者の代表格。足軽から異例の出世を遂げました。 半蔵は天文11(1542)年、三河国岡崎(現・愛知県岡崎市)の松平清康・広忠親子に仕えていた伊賀者・服部石見…
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名声が天下に知れ渡るも 主君の“嫉妬”に殺された太田道灌
江戸城を築いた人物といえば、徳川家康と思い込みがちですが、その元を築城した人がいました。太田道灌――。彼こそ江戸城の原型を作ったといえるでしょう。 道灌は永享4(1432)年、相模国(現・神…
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謙信との戦で時間浪費 武田信玄は上洛の途上で無念の死を
戦国時代に“最強”軍団を率いた武将は誰か、と聞かれたら、多くの人は武田信玄と答えるでしょう。確かに彼は、戦国を代表する猛将でした。 しかし、そのカリスマ性は努力によって獲得したものでした。ま…
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明治新政府と激突 西郷隆盛は西南戦争で散った維新の功労者
NHK大河ドラマ「西郷どん」が始まりました。明治維新の最大の功労者である西郷隆盛は、自身がつくった新政府の軍隊と戦って敗死しました。明治10(1877)年の西南戦争です。 西郷の悲劇のきっか…
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鳥羽伏見の戦いで惨敗 「武家政治」を終わらせた徳川慶喜
最後の征夷大将軍・徳川慶喜をひと言でいえば、歴史主義者でしょう。 「後世、自分はどう評価されるか」だけを念頭において行動したところに、彼の真骨頂があったように思われます。 慶喜は御三家…
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幕末、攘夷論を喧伝した“勤王方のスター”徳川斉昭
徳川斉昭といえば、幕末のある時期、勤王方のスター、日本一の人気者でした。彼は最後の征夷大将軍・徳川慶喜の実父としても有名です。 斉昭の水戸徳川家は、家康の十一男頼房を祖として誕生しました。斉…
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島津斉彬は西洋列強の侵略に備えた本物の賢侯
江戸時代265年の治世で、全国580藩の歴代藩主は、実に4290余名を数えました。その中で、後世の人々に「名君」「賢侯」と称えられているのは1%(40名)もいないでしょう。 しかし今回、ご紹…
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11月15日で没後150年 坂本龍馬を誰が斬ったのか
坂本龍馬といえば、薩長同盟の締結に尽力し、明治維新に功績を残した人物。本欄で扱うと、ファンの方からお叱りを受けそうですが、今年は彼の没後150年にあたります。志半ばにして33年の人生を絶たれたという…
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徳川家康も恐れ動けなかった 蒲生氏郷の強さの秘密
戦国時代、織田信長に最も期待された武将で、戦が強かったわりには、あまり名前が知られていない人物に、蒲生氏郷がいます。彼は信長が育成した人材の中でも、「勇・智・弁」の三徳を備えた最高の弟子といえます。…
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すべては豊臣家のため 宇喜多秀家は島流しで死んだ
関ヶ原の戦い(1600年)において、石田三成の西軍に荷担して敗れた人物で有名なのが大谷吉継と安国寺恵瓊。三成を含め3人とも、戦中と戦後に相次いで死亡しましたが、生き残った武将もいます。宇喜多秀家(幼…
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信じていいのか? 足利義昭は「本能寺の変」の黒幕説
足利義昭と本能寺の変(1582年)が話題になっています。明智光秀が織田信長を弑逆した背後に、将軍義昭との連携があったというのです。 義昭は戦国時代、室町幕府の最後の将軍となりました。彼もまた…
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吉良上野介は憎まれ続ける恐怖政治の犠牲者だ
日本人が一番好きな仇討ち話といえば、ご存じ、「忠臣蔵」――。元禄14(1701)年3月、赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城松の廊下で、高家筆頭の吉良上野介に斬り付け、翌15年12月に大石内蔵助ら家臣が、吉…
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大久保彦左衛門
「ご意見番」という言葉があります。強い相手にずばずば意見を言い、苦言を呈する人。芸能界では和田アキ子さんが有名ですね。 戦国時代から江戸時代まで生きた大久保彦左衛門は、「天下のご意見番」として…
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豊臣家を守り切れなかった加藤清正という“荒武者”
加藤清正には、朝鮮出兵での虎退治伝説など、荒武者のイメージがついてまわります。福島正則らとともに、石田三成の命を狙うなど、感情で動く面もありました。しかし晩年の彼には、思慮深い逸話も残されています。…