吉良上野介は憎まれ続ける恐怖政治の犠牲者だ
日本人が一番好きな仇討ち話といえば、ご存じ、「忠臣蔵」――。元禄14(1701)年3月、赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城松の廊下で、高家筆頭の吉良上野介に斬り付け、翌15年12月に大石内蔵助ら家臣が、吉良邸に討ち入りを仕かけた実話です。上野介は首を刎ねられ、「赤穂事件」とも呼ばれま…
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