愛弟子がピカソから学んだこと
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「同じスタイルにとらわれるな。挑戦し続けなさい」ピカソも常々言っていた
現在、松井氏の作品は、神田明神(神田明神文化交流館「EDOCCO」)、故郷・豊橋市にあるホテルアークリッシュ豊橋、そして襖絵となるが、京都の上賀茂神社で見ることができる。 「神田明神さんは、伝…
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電気を拝借していたことがバレた! フランス人大家が放った一言は…
「この連載もそろそろ佳境を迎えつつある。今回は、フランスという国のアートに対する寛容さを、いま一度伝えたい」 こう口にすると、松井氏は顔をほころばせ、自身の若かりし頃を振り返りながら説明する。…
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ピカソはよく言っていた「人間はそんなに変わらない。大事なのは環境なんだ」
昨年12月、松井氏はフランスへと戻った。実に1年半もの間、日本に長逗留したことになる。「こんなに長い間、日本に滞在したのは渡仏して以来はじめてのこと」と笑うが、「ずっと置き去りにしていた母国・日本と…
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「教育委員会の指導は『黒は色じゃないから使ってはいけない』」
前回、子どもの感性を豊かにする方法を説いた松井氏。加えて、美術に対する学校の意識を変革する必要もあると語る。 「ある地方の自治体から私が出演した『日曜美術館』(NHK)を見て感銘を受けたという…
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子どもたちは「国の未来」、ピカソはその重要性を理解していた
子どもの感性を豊かにするためには何が必要か? 芸術の都・フランスで研さんを積んできた松井氏がアドバイスを送る。 「たとえば、子どもが絵を描いていたとする。決して、〈うまい〉〈下手〉で決めてはい…
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NHKで特集が組まれ大反響「これまでの恨み節も含めて発信していってやろう」
「ときどき私はとても悔しいと感じるんだよね。今回は少しだけ私の愚痴を吐かせてもらおうかな」 フランス最高の栄典であるレジオンドヌール勲章を受章し、“光の画家”と称される画家の愚痴とは──。 …
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「存命中の画家がルーブルで展覧会を開くことはなく、唯一の例外がピカソだけだ」
2003年、フランスで最も栄誉ある勲章レジオンドヌールを受章した松井氏。同勲章は、あのナポレオン・ボナパルトによって制定された栄典だが、授与されたことで松井氏の絵は、死後、ルーブル美術館(以下=ルー…
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「哲学者サルトルとの交流、マリア・カラスの修羅場も目撃した」
ピカソのアトリエに5年間通い続けた松井氏。ピカソが亡くなることで、関係に終止符が打たれるが、その後もフランス在住の日本人として異才を放ち続けている。 在仏50年を超える松井氏は、さまざまな偉…
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平山郁夫さんの言葉に憤り「原爆の絵を描いてはいけないのか」
2016年、フランス最高の勲章であるレジオンドヌール勲章を北野武氏が受章し、大きな話題を呼んだ。しかし、松井氏はその13年前に同章を受章している。フランスでは誰もがあこがれるアーティスト。ただ、日本…
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「アートとは心の癒やしであり、資産でもある」自分の財産を自分で守る
アートは、心を豊かにするもの--。だが、松井氏は「それだけではない」と教える。 「アートは資産になるということを忘れてはいけない。ヨーロッパ、特にフランスは幾度となく戦火に包まれてきた過去があ…
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「僕は絵描きだから絵にすべてを捧げている。あとはどうでもいい」
ピカソと過ごした5年間は学びの連続だった。 「アトリエで絵を描いているピカソの姿は、鬼気迫るものがあった。一心不乱にカンバスと向き合い、全身全霊を捧げる。そして、描き終わると倒れるように床に転…
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「私の絵をどう思う?」というピカソの問いに正直に答えると、「よし、明日から来なさい」
天才芸術家・ピカソ。91歳で亡くなる最期の時代、松井氏は彼のアトリエに5年間通い続けた。政府奨学生である松井氏に許された時間は、たったの1年。芸術の都で貧乏学生として過ごしていたのかと思いきや、「お…
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初対面の彼は「おまえに会う時間で本来なら残せた傑作が消えた」と辛辣だった
天才芸術家・ピカソ(1881~1973)。91歳で亡くなる最期の時代、彼のアトリエに5年間通い続けた愛弟子がいた。後に仏レジオンドヌール勲章を受章する松井守男画伯だ。「光の画家」と称され、フランスで…