メガネを語る
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明治期の東京のメガネ店 一般教育の普及が後押しとなり続々開業
明治に入り、メガネはますます普及していきます。その理由は一般教育の普及にありました。明治5年には東京に小学師範学校が設置され、8月には学制公布、その3年後に女子師範学校の設立、明治12年には教育令が…
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眼鏡技術者・朝倉松五郎の遺志を継いだ妻 内国勧業博覧会で賞を獲得
ウィーン博覧会で「機械によるメガネの作製」の技術を学んだ朝倉松五郎(株式会社朝倉メガネの創始者)は眼鏡技術者だけでなく、のちに日本の写真家となる人材なども育てながらも、残念ながら1876年(明治9年…
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アンティークがズラリ 東京メガネミュージアム<S・T・A・G・E>
日本におけるメガネの歴史を明治初期まで駆け足で見てきました。私たちがそれを知ることができるのは、メガネについて丹念に研究し、その記録を残した先人がいたからです。そのひとりが明治16(1883)年創業…
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メガネ製造の機械技術を伝習した日本人職人 ウィーン万博参加がきっかけ
江戸時代に普及したメガネですが、その製造技術は職人の親方から弟子に口伝えされるもので、詳しい記録はあまり残っていません。辛うじて書かれているのは、1690年に蒔絵師源三郎の「人倫訓蒙図彙」、1713…
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江戸時代のメガネ店と作り方 18世紀初頭にガラスレンズ登場
前回までにお話ししたように日本では江戸時代に庶民を含めて広くメガネが普及していました。当然、各地にメガネ店もあったわけで、「町の案内書」というべき書物にその記録が残されています。 たとえば、…
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「長崎夜話草」に登場するメガネを最初に作った日本人の正体とは
宣教師のフランシスコ・ザビエルが日本にメガネを伝えて以降、南蛮や中国から多くのメガネが輸入されていました。ではいつ頃、誰が日本で製造するようになったのでしょうか? よく言われるのは朱印船の船…
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滝沢馬琴のメガネは1両1分 細かい手仕事をする職人に人気だった
メガネは宣教師から有力大名への献上品として日本に入ってきましたが、江戸時代初期には相当数が輸入され、広く普及していたであろうことをお話ししました。では、それはどのように使われていたのでしょうか? そ…
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徳川家康は手持ち式鼻メガネを愛用していた 度数の異なる2つが現存している
日本で最初にメガネをかけたのは、周防などを治めていた戦国大名の大内義隆であったことはお話ししました。メガネは宣教師のフランシスコ・ザビエルからの献上品です。1551年4月末の謁見で手渡されました。大…
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メガネは江戸時代初期に大量に輸入されていた 1637年には3万超も
イエズス会宣教師であるフランシスコ・ザビエルが布教のため、西国の有力大名・大内義隆にメガネを献上したのが1551年。それ以降、メガネはどのように日本に普及したのでしょうか? ザビエルの成功に…
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天皇でも将軍でもなく、ザビエルはなぜ地方大名にメガネを献上したのか
前回、日本で最初のメガネは宣教師のフランシスコ・ザビエルが周防を根城とする戦国大名の大内義隆に献上したものだとお話ししました。1551年のことです。しかし、なぜ、大内義隆なのか、疑問に思う人もおられ…
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メガネを最初に日本に伝えたのは、宣教師フランシスコ・ザビエル
2022年はメガネ作りにかかわる人にとって記念すべき年です。メガネ業界初の国家資格「眼鏡作製技能士」が誕生したからです。その目的は眼科専門医の先生方と連携しつつ、国民により良いメガネを提供して目の健…