<19>オレの80年代は末井昭がつくったようなもんなんだ!
スエー(末井昭、編集者・作家)と出会って(1976年)、雑誌を一緒にやって、写真集もいったい何冊出しただろうなぁ。末井が編集長の雑誌で連載を始めて、すぐに何冊も出したんだよ(1978年『男と女の間には写真機がある』『激写「女優たち」』、1980年『偽ルポルタージュ』『偽日記』刊行)。
新しい雑誌を出そうということになって、最初は末井が「荒木さんの雑誌をつくろう」って、「『アラキカメラ』とか『月刊アラキ』をつくろう」って言ってくれたんだけどね、やめようって言ったんだ。自分の雑誌なんて嬉しいけどね、「そんな個人雑誌なんてダメだって。いくら頑張ったって1万部も売れないよ」って言ったんだ(笑)。
雑誌の名前も、2人で新宿の「DUG」(ジャズ喫茶)で考えたね。覚えてるんだ。ニエプス(写真技術の先駆者)だとかダゲール(銀板写真の発明者)だとか、口に出すわけ。オレ、写真界のインテリだからさ(笑)。まあ、酒飲んでるしね。二人で飲んだくれてさ。そんなのは、なしになっちゃう。そういえば、『蛍雪時代』(旺文社)ってあったよなって話になって。これからは写真の時代だって、そうだ!写真で時代をつくっちゃおうって言ってね、『写真時代』にしたの。『蛍雪時代』のパクリじゃないからね(笑)。カタカナでカッコつけてた時代だろ。『アンアン』とかさ。オレはそういうのも気にして、新しい感じの本を出すのかなって思ってたんだけど、末井は、そういうの一つも考えていないんだよ。「写真の時代だ! 『写真時代』だ!」って。それで、意気投合しちゃうんだ。じゃあ、やっちゃうぞって。
(1981年創刊の『写真時代』は、荒木と末井の最強タッグで1980年代を席巻した「伝説の写真雑誌」。荒木を中心に、森山大道、倉田精二、北島敬三などの写真家たち、執筆陣に、赤瀬川原平、南伸坊、渡辺和博、上野昂志、橋本治、糸井重里といった顔ぶれ。過激な表現により、何度も警視庁より編集長の末井が呼び出しを受ける。最終号は1988年4月号。廃刊となった直接的な理由は猥褻図画販売容疑で警視庁からの回収命令が出て「発禁」となる)
■オレがもっている「風」と「俗」を見抜いた男
その頃から、みんな末井に見抜かれていたわけよ。方向が、全方向あるということをね。風と俗、風俗ね、全部撮れるという。たいがいね、カッコつけたいヤツは、風を撮ろうと思うわけだよ。風だけにするのが、アートで純粋だと思うじゃない。末井は気づいているわけだよ。すごく、オレが俗をもっているということをさ。もう善悪だろうが、清濁だろうが、なんでもあるっていうことをね。
あの頃は、週に何度も会ってたね。オレの80年代は末井がつくったようなもんなんだ。最初からオレのことを見抜いていたわけだよ。末井はオレのことを“雑誌みたいな人”って言うんだよね。いろんな要素を持ってるから、いろんなものがつくれるって。
(構成=内田真由美)