<14>写真展ならどこでもできる 街の中でやりゃいいんだよ
電通を辞めて2年ぐらい経った頃かな、東松照明さん(写真家)が寺子屋方式の「ワークショップ写真学校」を始めたときに、森山(大道)さんや深瀬(昌久)さんと一緒にオレを先生として呼んでくれたんだよ。東松さんはオレが電通に勤めていたときから目をつけてくれて、かわいがってくれた。写真学校は、授業とか時間割りとかじゃなくて、「森山教室」とか「荒木教室」とか、それぞれの写真家ごとにやってたんだ。(1974年、東松照明の呼びかけに応じて、森山大道、細江英公、深瀬昌久、横須賀功光とともに「ワークショップ写真学校」の設立に参加。写真学校の教授となる。荒木教室は、酒を飲みながらの撮影・講評会、合宿、銀座キッチンラーメンでの写真展、ダンススタジオでの舞踏訓練、写真集の刊行など幅広い活動を行った)
写真学校は2年続いて、ワークショップをやめてしまうのが残念だったから、オレはもう1年やることにしたんだよ(「荒木経惟私塾」)。
マイクロバスを借りて東京の街を走りながら撮る
で、やったのが「東京を行く」。その頃、ワークショップに集まる若い連中は写真展もなかなかできないじゃない。でも、どこでもできるぞーって、街の中でやりゃいいんだよって。いろいろやったね。電話ボックスが写真展の会場だって言って、電話ボックスを探しながら撮った写真を、そこに置いてある電話帳に貼った“公衆電話ボックス展”。電話帳をめくると写真が出てきて、見たら電話してくださいと電話番号も書いてさ。かかってこなかったけどね(笑)。山手線では、駅のプラットフォームで、次の電車が来るまでの間に「写真を撮って、電車が来たら乗る、次の駅で降りてまた撮る」を繰り返して1周する。それをプリントして、次の日曜日に新宿駅のベンチで電車を待ってる人に見せるんだよ。
撮った写真をトランクに入れて「写真売ります」なんて
マイクロバスを借りて、東京の街を走りながら、窓から撮ったりしてね。撮った写真をトランクに入れて、原宿で売ったんだ。キャビネ1枚100円で売ったけど、1、2枚しか売れなかったね。これは両脇の子分たちが悪いんだよ~。許可なしで路上で売ってんだもの。こんな、タバコ吸ってたら寄ってこないよなぁ(笑)。「男はつらいよ」の寅さんの影響もあったんじゃないかな。東京の街を撮った写真をトランクに入れて、「写真売ります」なんてやってた。「トランクの中の東京」ってね。「よりどり見どり」だって、ワハハハ。
東松さんは、オレのことをかわいがってくれてね。沖縄でワークショップをやったときも、亀甲墓でのヌード撮影なんかも自由にやらせてくれたんだ。東松さんが亡くなったとき(2012年、享年82歳)のインタビューでも話したけど、今思うと、「ワークショップ写真学校」の先生として呼ばれたオレらの先生、親分が東松さんだったんだ。東松さんは、自分の後継者でなくて、「写真」の後継者をつくるという大きな功績を残したんだ。
(構成=内田真由美)